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「こんな日は部屋を出ようよ」
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「こんな日は部屋を出ようよ」前編-1

 今日も僕は、いつもの場所を訪れた。 訪れたと言うと、さも、自分の意志と思われがちだがそれは断じて違う。 頼まれてのことである。
 事の起こりは数ヶ月前。 松ノ内が開けた頃、僕の家を叔母が訪ねて来た──傍らには娘を携えていた。
 叔母は近くに住んでいて、僕の母とは仲の良い姉妹だ。
 だから、よく家を訪れてはお互いの近況や親戚の事などという、他愛のない話をしたくてお邪魔するらしい。
 でも、僕にはそんな話の何が面白いのか解らない上、興味もない。
 その上、叔母の早口で甲高い声が何とも耳障りで煩わしい。 だから、挨拶をする以外は、極力、部屋に逃げ込むようにしていた。
 その日も、やり過ごそうと部屋で1人、煙草を吸っていた。 いたのだが。

「ちょっと。叔母さんが用があるって」

 扉の向こうから聞こえてきた母の声に、無防備だった僕の心は身構えた。
 母と同世代の女性が、若年の人間を呼びつける用なんて、小言に決まっている。 安穏としていた気分は、一気に憂鬱になった。
 だからといって、簡単に無下に出来るほどの勇気も持ち合わせていない。
 叔母には昔から何かとお世話になっていて、ちょっと前も、大学の入学祝いと称して結構な物をいただいていた。

「何?叔母さん、用って……」

 僕は、階下の姦ましい声がするリビングに恐る々と入った。 叔母は僕の顔を見るなり、満面の笑みで「こっちにいらっしゃい」と、招き寄せる。
 僕には、その表情が、企みを持った悪代官のように見えて仕方がない。

「……なあに?」

 どんな話かは知らないが、ここはしおらしくして、嵐が過ぎ去るのを待とうと叔母の対面に腰掛けた。
 すると、叔母は、躊躇いがちに“信じられない”事を僕に提案した。

「ナオ。 あんた、バイトとかやってないんでしょう?」
「はあ?何だよ、藪から棒に」「やってないんだったら、家庭教師なんかどう?」
「意味解んないよ。 どうしたいの?」
「だから、うちの子……ルリの勉強、見てもらいたいのよ」

 そう、こんな理由からだ。





 『こんな日は部屋を出ようよ』





 傍らから聞こえる字を刻み込む音。 僕は雑誌に目を通しながら、時折、音のする方に気を向ける。
 視線の先では叔母の娘、つまり姪のルリが、下校したままの姿で問題用紙と対話していた。
 僕が依頼されたのは、ルリの勉強を監視、指導して成績をアップさせること。 来年の入試を見越しての事だそうだ。
 一回が三時間の、週三回で六千円。 ちょっと安いなとは思ったが、下宿でお金が必要な訳でもなく、いいこずかい稼ぎという軽い気持ちで引き受けた。

 ルリは、この春、中学三年生になったばかり。 小さい頃は、僕の家と叔母の家は頻繁に往き来していたから、よく遊んてやった仲だ。
 ただ、自分も中学生を迎えて、親戚の家を訪ねる事が気恥ずかしいと思えてしまい、避けるようになってしまった。
 だから、彼女と会ったのは7年ぶりだった。
 ひと口に7年間というが、劇的な変化をもたらすには充分な歳月だと、僕は知らされた。
 先日、叔母の隣に座る無表情な女の子と、快活で生意気だった8歳の子が、同一人物とは、にわかに信じられなかった。


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