眠れない妻たちの春物語(第一話)-7
私は、遥か遠い空へ潤んだ視線を向けたまま、リビングにいる夫に声をかける。
「ねぇ…あなたって、SMに興味あるかしら…」
「どういうことだ…SMって…」
缶ビールを手にしたまま、テレビの野球の中継にじっと見入る夫は、私のほうを振り向くことな
く言った。
「ほら、女の人を縛ったり、鞭で叩いたりすること…」
「オレには、そんな変態みたいな趣味はないな…」
ウソを言うとき、夫の目元が微かに震える癖を、私が知らないとでも思っているのだろうか…。
でも、私は、心の中で、自分でも不思議だと思うくらい穏やかで優しい笑みを、夫に対して抱く
ことができたような気がする。
プランターに夫が植えたクロッカスの花びらにそっと指をふれたとき、私は、自分がこれまで
知ることのなかった夫と、もっと深い関係を新たにすごせることを予感した。
そして…
夫と私のあいだで止まっていた時間が、ふたたびゆるやかに流れ始めた…。