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権兵衛
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権兵衛 1

その日、私はウナギで満たされた風呂桶に浸かりながら、ウナギパイ山盛りを食べさせられるという悪夢にうなされて目が覚めた。
時計を見ると深夜の二時を少し回った頃である。
私は憂鬱な気分で再び眠りに着こうと目を閉じた。

それからどれくらいの時間が経った頃だろうか。
僅か数分しか経っていないようにも思えるし、既に数時間が経過したようにも思える。
突然、静寂を引き裂くようにチャイムの音がした。
誰だ……こんな時間に訪ねて来る馬鹿は……。
まあ大方どこかの酔っ払いオヤジが自分の部屋と間違えているのだろう。
私は無視する事にした。
しかし、チャイムはしつこく鳴り続ける。
これは……さすがに鬱陶しくなってきた。
確かに寝てはいなかったのだが、ようやく夢の世界の入口にさしかかったような気がしていた所だったのだ。
よし、文句を言ってやろう。
私は布団を抜け出し、玄関の鍵を開けて扉を開いた。
「な……っ!?」
私は絶句した。
なぜなら目の前に立っていた人物の風貌があまりにも奇怪なものだったからである。
そこには一人の男がいた。
年齢は外見からは判断出来ない。
20〜30代のようにも見えるし、40代〜50代のようにも見える。
頭はスキンヘッド。
黒い燕尾服の上着を羽織っているが、その下は裸。
股にはフンドシを締めている。
そして足には靴下に便所サンダル……。

これは酔っ払い……なのだろうか。
自信が無くなってきた。
その顔を見ると特に酔っている様子は無い。
では一体何だと言うのだ。
私が対応に困っていると男は口を開き、ゆっくりと良く聞き取れる発音で言った。
「佐藤さんでいらっしゃいますね?」
喋った……!!
たったそれだけの事ではあったが、私は大変驚愕していた。
人間が言葉を発するのはごく当然の事だ。
問題はその内容である。
通常ならば、このような形(ナリ)をした男の口から発せられる言葉が、よもや普通の言葉であるはずがないと考えがちであろう。
その意表を突いて第一声が「佐藤さんでいらっしゃいますね?」という至極常識的な問い掛けだったから驚いているのだ。
「そ……そうです。私が佐藤です」
私は焦る気持ちを男に悟られぬよう、必死に冷静さを装って質問に答えた。
しかし、言ってしまってから湧き上がって来たのは疑問と後悔の念だった。
そもそも何故この男は私の名を知っているのだ。
私はこの男とは初対面だし、彼に名を名乗った覚えは無い。
この男は一体何者なのだ。
私は目の前の得体の知れない男に心の底から恐怖を覚えた。
そしてそのような得体の知れぬ人物に(動揺していたとはいえ)軽々しく名を名乗ってしまった事を激しく後悔した。
だが名前を尋ねられて答えなかったらそれは失礼に当たる。
それにもし変に隠したり、嘘の名前を言ったりしたら、逆にこちらが怪しいだろう。
だいたい嘘を吐いても表札があるからすぐバレ……
……表札!?
そうか。
謎は全て解けた。
この男は玄関に掲げられた表札から私の名前を知ったのだ。
何も怪しむ事など無かった。
そんな簡単な事にも気付かず彼を疑ってしまって私は恥ずかしい。
しかし、疑惑は晴れたのだ。
もはや何の懸念も無い。
これで私は何のとっかかりも無く、晴れやかな気分でこの男と向き合える……。

…………。

いや待て、まだまだ全然あやしいだろう。
危うく騙される所だった。
だいたいこんな時間にこんな格好で人ん家に訪ねてくる奴に心許せるはず無いだろう。
こいつの目的は何だ。
なぜ私の所に来た。
そもそもなぜ私なのだ。
他の人では駄目なのか……。

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