吹けよ暴風、荒れよ台風
その他リレー小説 -
戦争
紹介文
戦闘攻撃機「台風」の活躍と、史実と異なる戦略で戦う大日本帝国の戦い。
支那事変は開戦後4カ月足らずで南京を攻略した日本の勝利に終わり、しばらくの平穏を得た。
将来の戦いに向けた戦備計画の中、三菱のエンジン部門では火星の18気筒化と22気筒化が、開発当初から進められた…
水メタノール噴射などをあえて採用しなかったことで、ハ50は早期に初期型が完成し、2400馬力を発揮、後世に「日本のセイバーエンジン(ネイピア・セイバー)」と呼ばれるようになった。
支那事変は開戦後4カ月足らずで南京を攻略した日本の勝利に終わり、しばらくの平穏を得た。
将来の戦いに向けた戦備計画の中、三菱のエンジン部門では火星の18気筒化と22気筒化が、開発当初から進められた…
水メタノール噴射などをあえて採用しなかったことで、ハ50は早期に初期型が完成し、2400馬力を発揮、後世に「日本のセイバーエンジン(ネイピア・セイバー)」と呼ばれるようになった。
人物紹介
高橋徹:大阪航空工業の社長で航空機技術者。時に「アメリカ的」とも言われる豪快な、それでいて扱いやすい機体を好み、自ら創業した。
「太平洋の荒波」における高橋社長と同一人物。
森里:海軍航空本部勤務の海軍中佐(昭和13年当時)。暴風の担当。
「太平洋の荒波」における森里大佐と同一人物。
航空士官としての経験から、暴風の将来性を見抜いている。
山岡大尉:海軍の航空士官で暴風の審査に当たっている。
「太平洋の荒波」で暴風の試験中隊を率いたり雷撃試験を行った山岡少佐と同一人物。
暴風の審査に当たる前は本土の戦闘機部隊に属しており、支那事変時には短期決戦に終わったとはいえ彼の部隊も上海近郊に進出し、山岡も攻撃機隊の護衛や対地攻撃も数回経験している。
「太平洋の荒波」における高橋社長と同一人物。
森里:海軍航空本部勤務の海軍中佐(昭和13年当時)。暴風の担当。
「太平洋の荒波」における森里大佐と同一人物。
航空士官としての経験から、暴風の将来性を見抜いている。
山岡大尉:海軍の航空士官で暴風の審査に当たっている。
「太平洋の荒波」で暴風の試験中隊を率いたり雷撃試験を行った山岡少佐と同一人物。
暴風の審査に当たる前は本土の戦闘機部隊に属しており、支那事変時には短期決戦に終わったとはいえ彼の部隊も上海近郊に進出し、山岡も攻撃機隊の護衛や対地攻撃も数回経験している。
投稿ルール
お願い:「前史」部分を書き上げるまではむやみに更新しないでください。
それまでは描きたい事があれば、事前相談をお願いします。
大阪航空工業:関西財界の出資で設立された、新興の航空機メーカー。
現在の貝塚市と岸和田市にまたがる形で飛行場と本工場を持っており、飛行場が貝塚市に、工場部分は岸和田市に立地している。
飛行場部分が「貝塚飛行場」、工場は「岸和田工場」と呼ばれることが多い。
それまでは描きたい事があれば、事前相談をお願いします。
大阪航空工業:関西財界の出資で設立された、新興の航空機メーカー。
現在の貝塚市と岸和田市にまたがる形で飛行場と本工場を持っており、飛行場が貝塚市に、工場部分は岸和田市に立地している。
飛行場部分が「貝塚飛行場」、工場は「岸和田工場」と呼ばれることが多い。
書き出し
〜前史〜
昭和13年7月、盧溝橋事件勃発。さらに北支事変なども勃発する中、政府は本来戦争不拡大方針であったが、頻発する衝突や、満州事変などの現地の独断先行の前例もあり、こうした無秩序な暴走と再発する衝突によるとめどない拡大を憂慮した昭和天皇の「可能な限り短期間で南京を攻略し、必ず即座に終戦せよ。その後は長城の北に退け。もし来年になっても戦火が止まぬなら、陸相、参謀総長らは腹を切って詫びよ」との強い要求が出された。
昭和13年7月、盧溝橋事件勃発。さらに北支事変なども勃発する中、政府は本来戦争不拡大方針であったが、頻発する衝突や、満州事変などの現地の独断先行の前例もあり、こうした無秩序な暴走と再発する衝突によるとめどない拡大を憂慮した昭和天皇の「可能な限り短期間で南京を攻略し、必ず即座に終戦せよ。その後は長城の北に退け。もし来年になっても戦火が止まぬなら、陸相、参謀総長らは腹を切って詫びよ」との強い要求が出された。