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命萌ゆる、その瞬間を
【ボーイズ 恋愛小説】

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命萌ゆる、その瞬間を-1

 小さな教会の敷地内にある、大木にもたれかかった俺は、宙を仰ぎ、そのままズルズルと木の表面を背中で擦りながら座り込んだ。
 そして『くそっ』と小さく叫んで、右手に握り締めていた杖を力いっぱい放り投げた。
 暗澹たる重いで、深く深く白い吐息を吐き出して、視線を足元に落とす。
 はぁ…何でこんなことになっちまったんだ…
 歯を喰いしばると、サラリと落ちた横髪に潤んだ瞳が隠れる。
「やっぱりね。学校には行ってないんだ。まぁ、気持ちは分からなくはないけどさ」
 突然、降り注いだ声音に驚いて、ハッと見上げると、木下闇にシルエットがひとつ、俺が投げ捨てた松葉杖を差し出しながら、こちらを静かに見下ろしていた。
「あんたも毎日飽きないね。ほら、俺んちすぐそこだからさ。お前が毎日ここに来ているのがよく見えるんだよ」
 キラキラと輝く木漏れ日に目を細めて声の主を見据えると、太陽の鱗粉を舞い上げながら、中腰で俺を覗き込む、たおやかな笑顔が浮かび上がり、ぽかんと口を開けたまま固まってしまった。
 似つかわしくない『俺』という言葉と、心地よく低い声でそうだとわかるが、身に余る、ぶ厚い濃紺のダッフルコートから覗く手首や首筋の肌付きの細やかさや、涼風に彷徨うしなやかな黒髪は、少年とも少女ともつかない中性的な艶やかさを醸し出していた。
「お前なんかに分かってたまるかよ…こんな気持ち」
 呆然と見上げたまま、口先だけでそう毒づくと、ふんわりと風が吹いた。
 一瞬見失った彼の身体は、溶けて無くなってしまったと思うような綿雪のように、俺の目の前に降ってきて、ストンとしゃがみ込む。
「ユズリハ」
 そう俺に向かって呟いた彼に、怪訝顔を向けた俺は、きっと最大級のアホ面をしていたに違いない。
「ユズリハの木」
 もう一度そう言い、真後ろに聳え立つ、10メートルはあろう大きな木を、すっと指差して爽やかに微笑む。
「ユズリハって、新しい葉が出来ると、入れ替わって古い葉は落ちてしまうんだ。見て、ここに書いてある詩『新しい葉が出来ると無造作に落ちる 新しい葉に命を譲って……』だって。なんか悲しいけど、素敵だよね。そういうの。新しい命に自分の命を託すって感じでさ。てっぺんのほうは、もう新芽が出ているから、そろそろ命を譲る日が来るのかな」
 俺は、大木の横に遠慮深げに立ち尽くす小さな看板の『ユズリハとは』の説明文をシゲシゲと見つめている、その屈託の無い楽天的な笑顔に、ただ無性に腹が立っていた。
「俺は今、誰とも話したくないんだ。悪いけど、席を外してくれないか」
 俺の愛想のない低い唸り声に一瞬、細い身体を強張らせが、すぐにその大きな双眸が細まり、クスクスと小さな笑い声が漏れる。
「相変わらずだね。いつまでそうやって腐ってるつもり?ねぇ…愁馬君。」
 『ねぇ、愁馬君』って、おい……俺は三度愕然とし、言葉を失う。
 腐っているなんて、この上ない侮辱の言葉…いや、そんな事はどうでもいい。
 俺が驚いて言葉を失ったその理由、それは……

「お、おまえ誰だよ……何で俺の名前を知ってるんだよ」

 見知らぬ男に名を呼ばれ、俺が怪訝そうに、そう叫んだ瞬間、俺の目の前から、太陽の鱗粉も、黒く聳え立ち木の影も、そして目の前の少年の顔も消え去った。
 変わりに飛び込んできたのは、真っ暗闇…その中で、木の皮に体が擦れる感覚と、同時に何かに強く押し潰されるような感覚とが同時に押し寄せる。
 そこで初めて、俺は、少年の体に包み込まれていた事に気付いた。
 あまりの突然の出来事で、何が何だか分からないまま、ただ我武者羅に手足をばたつかせる。
 しかし、この華奢な身体のどこにそんな力を秘めているのかと思うほど、少年の身体は、圧倒的な力で、俺の身体を支配していく。
 そして、少年の声が耳元で優しく瞬く。
「みんな愛してくれている。それは痛いほど分かっているんだ。だけど、優しい言葉や、仕草なんていらない。君は、誰かにこうして欲しいと思っている。今ただ、抱きしめて欲しいだけなんだ。違う?」
 『違う!』と即答した俺のかすれた声は、明らかに自分を見失った声だったし、その後、直ぐに返された『違わないよ』という彼の返答は、明らかに自信に満ちた声だった。
 諦めか、疲労か…次第に抵抗感を失ってしまう身体。
 変わりに込み上げてくるのは、空虚だった心が満たされていく、どうすることも出来ない快感…。
 厚いコートの奥から聞こえてくる鼓動に心が解けていくのが分かった。

 『また明日、ここで会おうね』
 そう言い残して、嬉しそうに手を振って身を翻し、疾風のごとく過ぎ去っていった少年は『シュリ』と名乗った。


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