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命萌ゆる、その瞬間を
【ボーイズ 恋愛小説】

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命萌ゆる、その瞬間を-5

 ナースステーションのカウンターの真下に入り込み這いつくばった俺と朱璃は、目の前のエレベーターに狙いを定めた。エレベーター上部の数字がカウントし始める。
 俺と朱璃は顔を見合わせ、ニヤッと笑った。
 『ピンポーン』間抜けな軽い音と共に重い扉が開く。
 後は転がるように一気に走り、小さな箱の中に飛び込むと、朱璃は割り当てられた任務を遂行すべく、慌てて『閉まる』のボタンを押す。
 あっけに取られる看護士達に扉が閉まる寸前、投げキッスをした俺達は、再び顔を見合わせて笑った。
 朱璃にとっては生まれて初めての悪戯に違いない。息を弾ませながらもとても嬉しそうに声を上げて笑っている。
 俺にはどうしても朱璃を連れて行きたい場所があった。

 屋上の重い扉を開けると、物凄い勢いで飛び込んできた冷たい風に押し戻されそうになりながら、なんとか外へと身を置き、俺は一方向を指差した。
「うわぁ〜っ、すごい!」
 走り寄って、金網をガシャンと掴み、俺の指先が示す方向を見た朱璃は感嘆の声をあげた。
 僅かに見える、黄昏時の海…。
 方々山に囲まれたこの街で、海を見ようと思ったら、高い場所に登らないと見えない。
 街で一番高いこの建物から見える小さな海。
 この街で唯一海の見える海のある風景を朱璃に見せたかった。
「綺麗だ…キラキラ輝いてる。金色の海なんて始めて見た…空と同じ色をしてる…ずるいなぁ愁馬。こんな景色を独り占めしてたなんて」
 独り占め?その可愛い言い草に思わず声を出して笑ってしまう。
 その金色の海は、山と山の間から今にも溢れて零れてしまいそうなほど迫り上がって見えた。
 金網にもたれ掛かった俺は、隣で、子供のように表情を輝かせ、海を見つめる朱璃の瞳を見つめた。
 俺にとってみたら、金色の海よりも、その海を瞳に移して笑っている朱璃のほうがよっぽど眩しかった。
「朱璃、俺はやるぜ」
 追い風に煽られる髪の毛を押さえて、朱璃が俺を振り返って見た。
「今からリハビリの先生のところへ行く。絶対に、この足をバスケが出来るようにしてもらうんだ。俺はお前から命を譲ってもらった。だから俺は自分の足で歩く。だからお前も…」
 朱璃が嬉しそうに俺を見ていた視線をふと背ける。一瞬にして弱弱しい光を映し出す瞳。
 そして、『俺は…』とひとこと言ったきり黙ってしまう。
 俺は金網から身体を離すと、覆い隠すように朱璃の細い身体を抱きしめた。
 カシャっと小さな音を立てて金網が軋む。
 潰れるほど強いく抱きしめると『朱璃を失いたくないんだ』俺の心が叫ぶ音が聞こえた。
 首筋に顔を埋めた朱璃は、ハァッと細長く吐息を吐いて、首筋に耳をくっ付けたまま、呟く。
「こうしていると、生きている音がする。トクトクトク…って。素敵な音だ。まるで愁馬の命が俺の中に宿っていくみたいだ…ねぇ、愁馬。俺は、あの海を見に行く。きっとこの足で。窓から見える景色以外の世界をこの目でみたいんだ。あの海を、俺のものにしてみたい。だから、その時は一緒に行ってくれるよね」
 俺の命が、朱璃の生きる力を呼び覚ます…そう感じた。

 俺は、バスの昇降口で手を差し出す初老の男性に、『ありがとう』と小さく呟き、深々と頭を下げる。
 『今から病院かい?毎日大変だね』と優しく笑いかける、そのよく会う男性に、俺は『いいえ、大分よくなったから、もうチョットで通わなくてよくなるんですよ』と笑顔で答え、目の前の小さな教会の隅に今日も聳え立つ、あのユズリハの木を眺めた。
 朱璃、新しい葉っぱの命が萌えているよ…心で呟き、病院の高い窓を見上げて目を細める。
 あれから朱璃とは会っていない。
 あの日俺達は、初めて約束をしたんだ。
 一年後、この木の下で待ち合わせをしよう。それまでは、お互い同じ道を別々に歩もうと。
 掌に残る朱璃の温もりを握りしめて、俺はゆっくりと交差点を歩き出した。
 そう、前に前に……
 お互い譲り合い、与え合った熱い命が、ここに萌えている。


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