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「わが愛しの貧乳美女」
【フェチ/マニア 官能小説】

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「わが愛しの貧乳美女」-2

「いっしょに風呂に入ろうか」

ホテルの部屋に入って、誠一が誘った。

「……わたし……胸が小さいのよ……」

すみれは顔面を真っ赤に染めて、消え入らんばかりの羞ずかしがりようである。
その風情が誠一にはたまらなくて、胸が高鳴るのだった。

だいたいに、貧乳の女性は男と初めて肌を合わせるとき、
「わたし、胸が小さいから」とか、
「わたしのお乳は貧弱なのよ」と、
羞ずかしげに告白することが多い。
裸になったときに男をがっかりさせないための予防線なのか、
ほとんどの貧乳女性はあらかじめそれを断ってくる。

ただ、男にとって貧乳であることは、先刻承知のことなのである。
裸にならなければ貧乳かどうか分からないわけではない。
むしろ、貧乳だからこそ、あえて相手に選んでいる場合が多いのだ。
これをして貧乳フェチという。

昔から日本人というのは、小さなもの、より小ぶりなものを愛でる性向があった。
盆栽や箱庭などは、その代表的なものといえるだろう。

どちらかといえば女性も大きな女は敬遠され、より小さくスレンダーな女性が好まれる傾向があった。
乳房もしかりで、小ぶりな乳房からは、可憐、純情、聡明、慎ましやか、
上品などのイメージが喚起され、それが長く日本人男性の心を捉えてきたのだ。

もうひとつの例を挙げてみよう。
1950年代の米国ハリウッドを代表する人気スターに、マリリン・モンローという女優がいた。
身長170センチ、スリーサイズが90・60・87というグラマーぶりで、ハ
リウッド・セックスシンボルの名をほしいままにしていた。

これにたいするように銀幕に颯爽と登場してきたのが、
映画「ローマの休日」でデビューした、
オードリー・ヘップバーンである。

マリリンはグラマスな肉体美を誇示してセックスアピールすることで、多くの男性ファンを虜にしていた。
一方のオードリーのほうは、その対極ともいえる体型、枯れ枝のようなスレンダーさで凹凸のない肢体の超貧乳女優だったのである。
彼女のデビューは1958年のことだ。

このオードリーの登場は、本国の米国ではそれほどのことでもなかったらしい。
だが、わが日本ではオードリーの人気が一気にフィーバーし、マリリンを超えて圧倒的に凌駕(りょうが)することになったのだ。

わが国の男性ファンたちは、
90センチの巨乳をもって大きな臀を振りふり、
男を挑発して闊歩(かっぽ)するセックスシンボルから、
触れなば折れんばかりの風情で、
可憐で愛くるしい無垢の清純女優に、
こぞって鞍替えしてしまったのだ。

この一事をもってしても、
日本の男たちが、
いかに貧乳の清純派に弱いかがわかろう。
加えて吉永小百合はじめ、
わが国で国民的女優として人気を誇ったスターには、
巨乳女優がひとりもいないのも事実だ。


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