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《glory for the light》
【少年/少女 恋愛小説】

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《glory for the light》-30

―数日後。
土曜日の街並を歩く人の群れに、何処か解放的な清々しさを感じるのは、僕だけだろうか。日曜日の夕刻は、皆、少し浮き足気味に見える。束の間の休息が終り、夜が明ければ、学校や職場など、それぞれのシステムの中に身を投じることになる。だから、その前日の土曜日は、みんな今を楽しむことに、ひたむきになる。いつかそんなことを百合に話したら、彼女は何も言わず、慈愛に満ちた笑みでそれに返した。僕はその微笑みに、何故か母親に誉められたような優しさを感じたのだった(実際は、母親に誉められた記憶があるのかどうかさえ、怪しいものではあるけれど)。
秋の陽射しは、夏の熱射よりも冷たいが、冬の陽光よりは暖かい。言葉にするまでもないほど、単純な事実。けれど、僕は百合と出逢うことで、普遍的な事実を日常への滋養として慈しむ余裕ができた。
人工物で溢れ返るこの街では、どれだけ目を凝らしても、紅葉に染まった壮麗な山の勇士は瞳には写らない。それでも、心持ち一つで季節を愛することは可能だ。
少し年寄り臭い感傷だけど、僕等はそのレトロな想いに浸ることを好んだ。「わびさび」「もののあはれ」などの、古典文学の礎となった美学は、この国に生きる現代人に普遍的なロゴスとして息衝いているのかもしれない。
そんな取り留めのないことを考えながら、僕は百合と待ち合わせていたファミレスへと向かった。
風の冷たさに背を丸め、林立する銀杏の街路樹を眺めながら歩を進める。僕は幾度も立ち止まり、舞い落ちる木の葉を目に留めては、出会った頃の二人を想い出していた。
待ち合わせの店に入り、百合を探す。
ガラス張りの壁際の席に、彼女は座っていた。ガラスを越えて降り注ぐ光の粒に、百合の輪郭が少しだけ黒く浮き上がっている。そこにいるだけで絵になりそうな人だった。
(早いね。まだ15分前だよ)
近寄り、僕が声をかけると、百合は静かに首を振る。
(私も今来たところよ)
コーヒーが半分以上飲み干されているのを見ると、本当はもっと前から来ていたのだろう。
向かい側に座り、通りかかったウェイターにコーヒーを注文した。
(今日は、何処へ行こうか…?)
百合が言った。ガラスの向こう側の、雑多に行き交う人々の足並みを眺めていた。
逢いたい時に逢い、行き先は逢ってから決める。端から見れば、僕等の関係は微笑ましいものかもしれない。けれど、実際には目には見えない、多くの感情が二人の狭間を擦れ違っていた。近いようで、とても遠い、僕と百合。その距離を、僕はどれだけ縮めることができるだろうか。
(マニュアル通りに、映画でも、もしくは…水族館?)
適当に思い付くままを口にした。百合は僕の出した選択肢を吟味するように瞳を閉じ、代わりに唇を開いた。
(後者にしよっか。久し振りだし)
僕は領ずいた。ウェイターがコーヒーを運んできた。それを飲み干すと、僕等は店を出て、駅へと向かった。
肩を奇せ合い、冷えた路面を二人は歩く。寒さを払拭するように、他愛のない会話で胸に温もりを蓄えた。
混雑する電車の中では、口数は少なく、吊革を握りながら窓の外に流れるビルの群れを見送っていた。
駅を出ると、徒歩で水族館を目指した。
(タクシー、拾ってもいいのに)
百合は微笑み混じりに首を横に振る。
(歩こうよ)
歩くのが好きな百合。まるで全てを楽しみながら生きているよう。春の香り、夏の風、秋の色、冬の空。普通の女の子なら目にも留めない生の息吹に、彼女は想いを奇せる。
百合は大学の同級生から、変わり者として見られていた。誰も彼女の瞳の先にあるものを理解することができなかった。一人を好み、寂しそうな影は何処にもなく、いつも彼女にしか分からない空間を、物憂げな瞳で馳せていた。
変わり者。人は人と違う人を疎遠にする生き物だ。だから、何処がどう変わっているのかを理解できない。分かろうともしない。排他的に、ただ避けるだけ。理解さえすれば、百合はこんなにも美しい人であることに気付くのに。百合を愛する自分を、僕は誇りに思えた。
水族館は、予想に反して空いていた。館内に入ると、陽光の代わりに深海を思わせるブルーライトが二人を包む。
静かな通路を、僕たちはゆっくりと歩いた。重厚なガラスの水槽の中、色取り取りの魚たちが、のそのそと泳いでいる。水や光と戯れるかのように、その姿は優艶だった。
(熱帯魚とかね、割りと好きなの。何も考えないで、気の向くままに泳いでるのを見ると、不思議と心がなごむんだ…)
声を潜めるようにして、百合は僕に言った。
(生きてるだけで君の心をなごませるとは、大したご役目だ)
僕も声を押さえて言った。百合がはにかむように笑った。
深海魚の水槽を眺めた後、僕たちは海ガメの水槽へ向かった。巨大な亀は眠っているのか、二人に見つめられても微動だにしなかった。


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