投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

《glory for the light》
【少年/少女 恋愛小説】

《glory for the light》の最初へ 《glory for the light》 24 《glory for the light》 26 《glory for the light》の最後へ

《glory for the light》-25

(そんなの悪いわ。別に私は大丈夫よ?)
(駅まで徒歩で40分。電車賃もかかるし、駅を降りてからもアパートまで大雨の中を歩くと?)
僕は努めて明るく言った。百合は少し考え、申し訳なさそうな顔で答える。
(…お願い、しようかな)
僕は首肯する。
(じゃあ、客がこない内に、雨脚が強まらない内にそれ飲み干して下さい。閉店の準備するから)
百合がコーヒーを飲み終える間に、僕は店内の電気を消して、マスターに書き置きを残した。店の鍵はマスターと僕とアカネがそれぞれ所持しているので問題はないだろう。店の奥からマスターの予備のヘルメットを持ち出す。
(あっ…コーヒー代…)
財布を取り出す百合を僕は慌てて制した。
(要らないよ)
(…でも)
(要らないって。今日はたまたま客入りが悪かっただけ。コーヒー一杯で経営が傾くほど貧乏な店じゃないさ)
百合は礼を言うと、はにかむように笑って見せた。
(じゃあ、行こうか)
僕等は店を後にし、冷たい雨の降る外に出た。
秋の清涼な空気に冷やされた雨は、次第に強さを増してアスファルトを打ち据える。
バイクに跨り、後ろにいる百合の温もりを背中に感じながら路面を駆けた。
二人の関係がこのままで良いとは思えない。百合が僕に、他の誰かの面影を求めていることは、結果として彼女自身を苦しめることになるからだ。幻想は傷付けはしないけど、その代わりに、本当に大切なものを与えることもできない。彼女はそれに気付いていないのだろう。僕はどうすればいい。百合に気付かせる?僕という存在は、百合が思う人とは違うことを。結果としては、それも彼女を傷付けることになるかもしれない。誰に対しても幻想は優しいけど、真実は厳しいから。しかし、こうも思う。その傷がもたらす痛みは、前に進むための糧と成り得る痛みだと。僕は百合のために、百合を傷付ける必要があるのかもしれない。そして、その傷を治癒するのも僕でなければならない。
雨の中を30分ほど走り、百合のナビに従ってアパートを目指した。
重く垂れ込めた雨雲は、光と引き替えに暗澹とした薄闇を産み出し、街を灰色に染めている。想い出と街の色、二つのセピア。その狭間でもがく僕。僕は、背後からきつく回された百合の腕の感触に、理由もなく、胸を引き締められた。
大丈夫。雨は必ず、いつかはあがる。今はセピア色の街でも、きっと光は刺すだろう。僕は自分にそう言い聞かせ、驟雨に濡れた街並を、百合を背にして走り抜けた。
百合をアパートに送ると、僕はすぐに帰ることにした。
(上がっていけばいいのに…)
百合はそう言ってくれたが、僕は今の状態で、彼女の部屋に上がる気にはなれなかった。体が濡れていたからとか、そういう理由だけではなくて、本当の意味で僕等の距離を縮めてから。そう思っていた。
帰路の途中でコンビニ弁当を買って、また雨の中をバイクで駆けた。アパートに着く頃には、雨はあがり、雲の切れ間から光の柱が薄闇を裂いて地上に降り注ぐのが見えた。
部屋に入り、バスタオルで髪を拭いて着替をした。ラジオを付けると、優雅なクラシック音楽が流れていた。局を変えてみたが、どれも似たり奇ったりだった。ベッドに寝転びながら茫洋としていると、やがて睡魔が訪れた。色々なことが続いて、少し疲れているのかもしれない。僕はまどろみに身を任せ、重い瞼を閉ざした。
体をゆっくりと、目に見えないものが覆っていく。…次第に感覚が剥離され、脳裏に広がる闇に、僕の意識は撹拌されていく。
微睡の中、呼吸をする度に上下する胸の動きだけが、妙に生々しく、鮮明だった。薄れて、色褪せていく記憶の中で、行き場を失った想いが揺れる。やがてそれは形を成して、僕を取り囲む。
気が付けば、雲はポツポツとしか浮かんでいないのに、やけに灰色の空があった。空だけじゃない。瞳が宿す全てが、モノクロ写真のようにくすんでいた。灰色の浜辺。灰色の海。灰色の空。そして、灰色の僕。色彩を欠いた世界を、あてどなく歩き周る。潮の香りも、陽の温もりも、さざ波の音も、五感に訴えるものは何もなかった。あるのは、何処からくるのかさえ分からない、寂廖感。僕は何故、独りなのだろう。そんな疑問が心を捕らえて離さない。無性に寂しく、無意味に悲しい。僕はふと立ち止まり、前方に視線を凝らした。視界の先で、独りの少女が歩いている。灰色の網膜に、その少女だけは色を帯びて写っていた。白いワンピース、麦わら帽子、小麦色の肌。
少女は時折、麦わら帽子を指先でクルクルと回しては、誰かに話しかけるように唇を開いた。その目線はすぐ隣に向けられていたが、僕の目には、少女の隣には誰もいなかった。それでも、少女はその瞳にだけ写る誰かに向かって、微笑みかけている。その笑顔に、僕は見覚えがある気がしたが、誰と似ているのかは思い出せなかった。
僕は立ちすくしたまま、ずっと少女を眺めていた。近付くことも、声を上げることもできなかった。ただ、遠くから眺めていることしかできなかった。


《glory for the light》の最初へ 《glory for the light》 24 《glory for the light》 26 《glory for the light》の最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前