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「消えぬクリスタルハート」
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「消えぬクリスタルハート」-1

彼は走っていた。
必死に、ただ必死に。
大事な何かを取りそこね、指の間からすり抜けるような…そんな嫌な感覚を必死に押さえながら。
(あと少し…)
何かを強く願いながら、十数段の階段を駆け登る。
早く行きたくて、一段抜かしで登った。
こんなに、一段一段が邪魔だと感じたことはない。
やっと階段を登りきった。
(…居た)
噴水の前にある白いベンチ。
噴水をライトアップする照明がキラキラと水に反射し、彼女を宝石のように錯覚させる。
彼は息を整えながらゆっくり近づいていく。
「…やぁ」
反応してるのかいないのか、顔を上げない。

その伏せた顔はどんな表情をしているだろう。
…わからない。
「ごめん」
だから謝る。
「…馬鹿」
小さな声。それは噴水の水の落ちる音に消えてしまいそうなほど。
けど、彼にははっきりと、身体の芯まで響いた。
「急いだんだけど…。うん…ごめん」
「……」
彼は車を飛ばして来た。だけど、ココに向かい始めた時は、約束の時間をすでに過ぎていた。
「言い訳かもしれないけど…また、仕事で」
彼は見習いの硝子職人だ。親父の跡を継ぐため修業中。
小さな工場は、彼を含めて4人の見習いが働いている。
職人は、最近、最後の一人が自立してしまった。

小さな工場には大きな依頼は来ない。
しかし、やはり職人が親父一人というのは色々と大変らしい。
だから彼が毎日仕事を遅くまで手伝っている。
今日は明日までに仕上げる仕事を時間に追われながらやっていた。
その成果は、なんとか約束の日までに間に合いそうだ。
だが、彼女との約束の時間には間に合わなかった。
「私達…最近噛み合わないよね」
「合わせようとしてるけど…。うん…ごめん、言葉が見つからない」
そこで彼女は初めて彼を見る。
照明の光を反射するその眼は、少し赤く、濡れていた。
それを見て、彼は胸が苦しくなった。

「待ってる間ね…色々考えたよ…?」
今にも泣き出しそうな声、それがさらに彼の胸を締め付ける。
痛いほどに。
「どうしても…噛み合わないんだよね…」
(…やめてくれ。聞きたくない)
彼は心の中で強く思う。
「もう…耐えられないよ…」
(言わないでくれ…!)
それは無常にも、死刑を宣告されたような感覚。
「別れよう?」
「−−−」
全てが止まった。
彼の体から熱が消える、そんな感覚。
聞きたくなかった…その言葉だけは…。
確かに、この二ヶ月は酷かった。
たが…諦めるのは早いだろう。
道はあるだろう。
(そんな絆だったのか?僕達は)

諦めきれない。
たった二ヶ月、会うのさえ満足にいかなかった…。
だからって、彼の気持ちは弱まる事なんてない…。
だから、彼は彼女に「待ってほしい」と言った。

 今、諦めきれないと思っている彼の、唯一の時間稼ぎだった。


−翌日−
「で、俺に相談してきた訳だ」
「そんな他人事のように…いや他人だけど…簡単に言わないでよ」
「いいんじゃん?色々経験必要よ?閨(ネヤ)の方とかも」
「言い方古いよ」
「純情なお前に気を使ったんだ」
「どうだか」
朝、工場で働く合間に、彼は親友(と書いて悪友と読む)に相談をしていた。内容はもちろん昨夜の事。
「だってよ、覆水盆に返らずって言うだろ?」
「ほんっとに非協力的だね」
「かっこ笑い」
「かっこ笑いじゃないよ!」
適当な返答に、思わず大声をあげてしまう。

「ばっ…」
「しまっ…」
そして、二人同時に声を出す。
その声を掻き消す怒号が、後方より地が揺れる勢いで叫ばれる。
「こらぁ早く運べ!約束の時間に間に合わなかったらどうする!」
『は、はいはい!』
「『はい』は一つ!」
『はい!』
かみなり親父の声に飛び上がる二人。
今時こんな親父居ないと思う。しかし、実際いるのだからしょうがない。
しかし、堅物の親父だが何故か彼を含め、見習いの皆から好かれていた。
やっぱり筋が常に通ってるからだろうか。
とにかく、二人はこれ以上叱られないようにと、さっさと仕事を終わらす事にした。


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