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『運命〜君の居る場所〜』
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『運命〜君の居る場所〜』-3

会社を辞める時、隣の席の女の子からボソっと耳元で同じことを言われたのを思い出したのだ。
「隙があるから悪いのよ。」
でも、私は別に派手な格好をしているわけじゃない。
いつだってブラウスのボタンは第一ボタンまでしか開けないし、ノースリーブもミニスカもはかない。
声だって高くないし、背だって低くない。
小犬のように潤んだ目をして白いシャツからブラジャーを透けさせているような娘よりも、私の方に隙があるというのだろうか?
だとしたら何処に?
私にはさっぱり分からない。
分かるのは、私が悪いということだけ。
全て、私に非があるのだ……。
平は私の仁王顔にぎょっとして
「ごめん。」
と呟いた。
それから頭を撫でられた。
私は下を向く。
頭を撫でられるなんて、見下されているようで大嫌い……だと思っていた。
なのに、平の掌は、なんでこんなにも心地いいのだろうか。
その温かさに、重力に、余計涙がこぼれそうになる。でもやっぱり飲み込んだ。
この手は、ピアノも器用に弾けてしまう手なんだということを思い出した。
そう思ったら、聴きたくて聴きたくて仕方が無くなった。
「平の家にピアノある?」
それはとても勇気のいる質問だった。
「電子ピアノならね。」
平は答えながら怪訝そうに眉を顰めた。
「平のピアノが聴きたい。」
この言葉の意味を図りかねたように平は沈黙。
“それって俺の家に来たいってこと?”
桂介だったら言いかねないデリカシーのない言葉を、平は決して言わない。
代りに
「渋谷で待ち合わせた意味なくねー?」
平は笑い、元来た道を戻りだした。

平のピアノなんか何度も聴いた。
うちのサークルはピアノサークルだったのだから。
でも本当に彼の音を聞いたのは1度きり。
あの日。
サークルの集まりが終った音楽室で、平は爆睡していた。
皆が笑いながら帰って行ったあと、私と平はそのガランとした音楽室に2人残された。
すぐに起きると思っていたのになかなか起きない平に痺れを切らし、そっとその鼻の上にかかった眼鏡を外してみた。
端正な顔。
「なんだよ。」
寝起きの平は機嫌悪そうに目を細めた。
私は眼鏡を奪ったまま音楽室の中を逃げ回った。
なんだかもう少し、その眼鏡のない平を見ていたくなったから。
平は本気で追いかけてきた。
慌てて私はグランドピアノの下に隠れた。
グランドピアノの下はカバーがかかっていたため、暗かった。
平それに気付くと、いきなりピアノの蓋を開いてそれを弾き始めた。
頭の上から響いてくる音。
私は茫然とその迫力ある曲を聴いていた。
ベートーベン第5交響曲。
所々音を飛ばすその弾き方はとても雑だったけれど、何故か優しい音がした。
泣きそうになった。
「運命」――。
この曲は、今、私だけが聴いているのだと思ったら余計泣きそうになって、私は平の眼鏡を自分の顔にかけて耐えた。
視界が歪んでいた。
弾き終えた平は、ピアノの下に潜ってきて私の顔の上にある自分の眼鏡をそっと外した。
外す時、その指が私の頬と耳に微かに触れた。
直ぐ目の前にある平の顔が、その目が、あまりに優しくて、彼が私を大切に想ってくれている事を感じた。
けれどもそんなことを感じられたのはその時だけ。
それから1度だって平はその眼差しを私に向けてくれることはなかった。
もし、もう一度あの眼差しを向けてくれることがあったなら―――。


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