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ミライサイセイ
【悲恋 恋愛小説】

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ミライサイセイ act.2 『不安定な球体』-3

「今日はもう遅いので、この辺で。終電もなくなる時間だし」
何とかして帰りたかった。下心丸出しの探りあいは、見ているほうも萎えてくる。
「あきらが初めて自主的に喋った言葉が、終わりの合図だったんですよ」
「そうだったかな」
僕は、窓から病院を行き来する人の波を見遣る。寄せては返す人の群れは、日常の喧騒による弊害だ。何のために、ひとは不健康になっていくのだろう。
「そうでした。あの場所で、私にとって、あなたひとりが異彩でした。それから事あるごとに貴方を観察しました」
「そういえば、やけにそれ以降僕に話しかけてきたよね」
一緒にお昼しませんか?
講義のノートを見せていただけませんか?
この前の試験はどうでした?
「話してみると、良く分かります。あなたは私が知っている、どの男性とも違っていた」
「変人だからね」
「言葉では表現しにくいんですけど、何か、こう、あなたと一緒にいると幸せな気分になれるんですよ」
――― お前は、おれに無いものを持っている。それはな、例えば知力や経済力なんかとは比べ物にならないほど、重要なものなんだよ。
そう言った兄は、もういない。
似たような言葉を、ミクは言う。
自分は決して幸せにはなってはいけない人間だから、せめて周りにいる誰かだけは。
そう願ったのは、いつの頃からだったのだろう。
眼下には、あやの姿があった。
確かな足取りで、この病院に向かってくる。
――― あなたといた時間は、とても幸せだった。信じて。それだけは確かだから。
別れを決心した彼女の言葉も、締めくくりは、やはり同じで。
ミクの言葉が、忘れえぬ記憶を再生させる。
それは、ぐるぐると頭のなかで渦を巻き、僕を暗い淵へと飲み込んでいく。
ひとが幸せならばいい。
そう信じているけれど、哀し過ぎて言葉には出せない。
ならば僕は、どこに行き着けばいい?
「どうして、そんな話を?」
行き場の無い僕は、答え様の無い問いをかける。
「分かりません。ただ、怖くなりました。貴方と過ごす時間が、幸せすぎて。ただの夢なのに、考えすぎですね」
雲は流れている。
それは風に流されているのだろうか。
それとも自主的に流れていくのだろうか。
「それは夢じゃない。過去にあった現実さ。だから僕らはここにいる」
だから幸せは途切れることなんて無いんだよ、ミク。怖がるな。大丈夫、大丈夫だから。
胸のうちで静かに込める。それはささやかな願い。今、このときに愛している人に向けて。
コンコン
ノックされた方向には、あやの姿がある。「こんにちは」
「どなた様ですか?」ミクは言った。
「え、と、加害者です」何を言うべきか一瞬悩み、あやは切り出した。最初に直球を投げる生き方は、懐かしさをはらむ。
「すいませんでした」あやは深々と頭を下げた。
「やめてください。悪いのは、飛び出した私の方なんですから」
「それでも怪我を負わせてしまった直接的な責任は、私にあります」
「軽い脳震盪ですよ」言ってミクは、柔らかな笑みを浮かべる。その芯の強さに、僕もあやも圧倒される。もう謝らないでください、そう暗に示した笑みである。
僕は病室を後にする。そろそろ講義の時間だ。
「それじゃあ、ミク。また後で」
「えぇ」
「あや、彼女の面倒を看ていてくれ。まだ起き上がることは許可されていないんだ」
「分かった」あやは首を縦にふった。
病室の扉を閉める。まだ中からは二人の話し声が聞こえる。
「え、と呼び方はミクさん、でいいのかな?」
「・・・・え、えぇ。それで構わないです」
当事者同士の話もあるだろう。僕は大学へと向かった。その途中、最後に目にしたミクの表情が頭に浮かぶ。その真っ青な顔色は、重病患者を思わせた。


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