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白衣の天使
【その他 官能小説】

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白衣の天使-12



 市街地の道路はどこもかしこも混み合っていた。恵麻は電車で帰るつもりでいたのだが、ちゃっかり車の助手席におさまり、借りてきた猫のように大人しくしている。運転席の椎名はカーナビを操作し、渋滞だの抜け道だのとぶつぶつ言っている。
「さっきの話ですけど、あれってどういう意味ですか?」
 恵麻はフロントガラスの向こうの夜景を見ながら言った。
「どうって、そのまんまの意味だよ。僕はお笑い芸人ではないからね。人を笑わせるのは彼らに任せるよ」
「もう、真面目に答えてください」
「僕は至って真面目だよ。笑顔は与えられるものじゃなくて、作るものでもない。幸福を感じた時にしぜんに起こる生理現象なんだ。よく言うだろう、病は気からって。幸福を感じて笑顔になれば、どんなに厄介な病気だって吹き飛んでしまうのさ。僕ら医師の仕事というのは、治癒のきっかけを作っているに過ぎない」
 ふうん、そうなんだあ、と恵麻は生返事をした。椎名が真面目な話をしている時は、大体が口から出任せである確率が高いことを知っているからだ。しかし、まぐれで説得力のあることを言う時もある。
「あの人、新山夕姫っていう女の人、診療所で働いてるんですか?」
 恵麻は口が曲がりそうになるのを我慢しながら訊いた。恋敵の名を口にするだけで血圧が上がりそうなのだ。
「働いていた、と言っておこうかな。彼女には辞めてもらった」
「どうして?」
「彼女はとんでもない詐欺師だった。僕は新山夕姫を買い被っていた。変な薬を飲まされて、たくさんの女性を騙して最低なこともしてしまった。君を辞めさせたのも薬のせいだよ。すまない、反省してる」
「じゃあ、あの人と男女の仲になったのも薬のせいですか?」
 椎名はウインカーを焚きながら頬をゆるませた。高崎さんは何か誤解しているようだ、と首を横に振る。
「ホテルには行ったけど、そういう関係にはならなかった」
 これには理由があった。シャワーを浴び終えた新山夕姫を見て、椎名は幻滅した。悪い夢でも見ているのかと思ったが、目の前の女は明らかに熟女と呼べる容姿をしていたのである。
 近頃の美容整形は進んでいる、でも私の秘密を誰かにしゃべったら高崎恵麻にも危険が及ぶことになると脅され、椎名は仕方なく新山夕姫の野望を叶えるための働き蜂になったのである。女王蜂の命令は絶対だからと。
「つまり、君が心配するようなことは何もなかったというわけさ」
「別に、心配なんかしてません……」
 恵麻は口を尖らせたが、内心ではほっとしていた。
「学生の頃、彼女は薬の調合の研究をしていたらしい。人の役に立つ新薬の研究をね。でも名誉に目がくらみ、道を逸れてしまった。その知識をもっと別なことに使えると良かったんだろうけど、そうはならなかった」
「そういえばテレビで視たことがあります。透明人間になれる薬とか、若返りの薬とか、アニメの世界にもよく登場します」
「まあ、何でもありってわけにはいかないけど、治療薬か、毒薬か、調合する人の匙加減でどちらにでも転ぶ可能性があると新山夕姫は言っていたよ」
「やけに詳しいですね。まるであの人の人生を見てきたみたい」
 椎名はそれには答えず、車を駐車場に停めてドアのロックを解除した。窓越しに湯煙の立ち上っているのが見える。
「さあ着いた。足湯に浸かりながら甘酒でもどうだろう?」
 まあそれもいいかな、と恵麻は後部座席のダウンジャケットを羽織り、彼に連れられて夜の温泉街を散歩した。道行く老夫婦が仲睦まじく手を繋いでいる様子を見て、どちらからともなく椎名と恵麻も手を繋いだ。
 しばらくすると「足湯」と書かれたのぼりが見えてきた。近くの店で甘酒を二つ注文し、二人並んで足湯に素足を浸した。冬の澄んだ空気のおかげで遠くの星座まで鮮明に見える。
「僕が診療所を留守にしていた時、男が訪ねてきただろう?」
 甘酒に口をつけてから椎名は切り出した。恵麻が一人で怪しい男性を介抱したという、あの日のエピソードだ。
「おぼえてます。思い出すと今でも鳥肌が立っちゃうし、忘れたくても忘れられません」
「その男、僕の古い友人なんだ」
「嘘?」
 寝耳に水だった。恵麻は思わず甘酒を落っことしそうになったが、最悪の事態は免れた。
「人相は悪いけど、あれでなかなか子煩悩なところがあるらしい。聞いて驚くなかれ、彼の職業はお巡りさんだよ」
 それを聞いて恵麻は二度びっくりした。どこからどう見ても女性の敵にしか見えない彼が、まさか警察官だったとは。すると彼が上着のポケットから取り出そうとしていたのは手帳だったのか。いや、あれはただのポーズだった可能性もある。
 いずれにせよ、少々ややこしい話ではあるが、あとは恵麻の想像する通りだった。健康な女性を集めて人体実験をくり返していた新山夕姫は捕まり、診療所も元通りになったらしい。
 新山夕姫は神の領域に近づき過ぎたのかもしれない。医療の進歩に近道は存在しない、遠回りでもいいから人情に寄り添う看護師になりたいと恵麻はつくづく思った。
 


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