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白衣の天使
【その他 官能小説】

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白衣の天使-11



 アンコールの幕が上がると、ライブ会場の熱気は最高潮に達した。まばゆい照明がステージを照らし、少女趣味な衣装で着飾った演者たちが一斉に集結する。
 一夜かぎりの夢──その言葉を何度噛みしめたかわからない。恵麻は客席の最前列から夢のステージを見上げ、目をかがやかせた。となりの女性も、そのとなりの女の子も、皆が同じ方向に黄色い声援を送っている。
 人気アニメの声優が出演するライブに恵麻は来ていた。仕事を辞めてからというもの、刺激の少ない毎日を過ごしていたけれど、こうして自分の好きなものに囲まれているだけで生きる力がみなぎってくる。
 ライブはもう間もなくフィナーレを迎えようとしている。恵麻は燃え尽き、そして今日も生き延びることができた。ステージ上で笑顔を振り撒く彼女たちに熱視線を送り、感動をありがとうと言いたかった。
 しかし夢から覚めれば彼女たちにも現実世界が待っているに違いなかった。アイドルの顔を脱ぎ捨て、帰るべき場所に帰った途端、背負っているものの重圧に押し潰されることだってあるだろう。
 人に夢を与えるために二つの顔を使い分けるのは悪いことではない。ただ、そこに陰と陽の両極が存在するならば、あるいはおそろしい思想の持ち主が二つの顔を備えていたとしたら、いずれ人類は滅びるだろう。
 ライブが終わり、会場を出たところで上着のポケットに手を入れた。指に触れたものを取り出してみると、携帯用の救急セットが出てきた。いざという時のために持ち歩いてはいるものの、いざという時はなかなかおとずれないものである。
 嫌なことを思い出してしまった。氷のように冷たく笑う新山夕姫の顔が記憶の中にこびりついている。もっとも不気味なのは、彼女の真の目的がわからないことだった。まあ、今となってはどうでもいいのだけど。
「こんばんは」
 その声で恵麻は我に返った。目の前に二人組の若い男たちが立ち塞がっていて、にやにやと口を歪めていた。どうやら考え事をしているうちに知らない道に迷い込んでしまったらしい。
 彼らは初対面である恵麻の容姿をやたらと褒めちぎった。顔が可愛いだの脚が長いだのと外見ばかりを持ち上げ、こちらの都合も考えずに一緒に遊びに行こうとしつこく誘ってくる。
「ごめんなさい、友だちと予定があるので」
 恵麻が素っ気なくあしらうと、男の一人が馴れ馴れしく腰を触ってきた。恵麻は不快感を露わに睨み返したが、彼らは意に介さない。
「お小遣いをあげるからさ、とりあえず車に乗ろうよ。ね?」
「お金なんていりません。私にかまわないでください」
 車に乗ったら最後だ、どこかに連れ込まれてレイプされるに違いないと思った。非力な恵麻では彼らの力には敵いっこない。
 背後で焚き火のはぜるような音がした。恵麻が振り返ると、男の一人がスタンガンをちらつかせながら三白眼で迫ってきていた。あまりの恐怖に恵麻は縮み上がり、声が出せなくなってしまった。
 閃光が瞬き、光の触手がばちばちと暗がりを切り裂く。そして触手の一本が体に触れそうになった瞬間、恵麻は彼らに乱暴される覚悟を決めて目をつむったのだが。
「ぐわっ!」
 男の悶絶する声が地面を這った。何事かと思い目を開けると、先ほどの男がスタンガンと一緒に道に倒れていた。しかも男たちの人数が一人増えている。
 ぽかんと口を開ける恵麻の見ている前で口論が始まった。というより、片方の男が一方的に暴言を吐いているだけで、あとからあらわれた男はまったく口を利かず、隙のない動きであっという間に相手の男をねじ伏せてしまった。
 どうやら仲間ではないらしい、と恵麻が思った時にはすべて片づいていた。負けたほうの男二人は何やら捨て台詞を残して立ち去り、勝ったほうの男は埃を払う仕草をしたあと、ここで初めて声を発した。
「手加減はしたけど、どこか痛むのならうちの診療所においで」
 恵麻のよく知る声だった。知りすぎていて、どんな情緒でいればいいのかわからなかったが、危険を回避できたのは事実だ。
 でも、出会った頃のやさしい彼はもういない。いつかみたいにたまたま通り掛かって、たまたま困っている恵麻を見つけて、たまたま助けてくれたに違いない。
「よお、久し振り」
 彼──椎名雅人はおどけるふうに右手を挙げて微笑みかけてきた。恵麻はどう対応していいのかわからず、「お久し振りです」と目をぱちくりさせた。以前と変わらない椎名の温かい表情がそこにあった。
「ちょっと痩せた?」
「……」
「その服、似合ってるね」
「……」
「こう見えても僕、医者をやってるんだよね。だからどんな怪我や病気もちょちょいのちょいで治せちゃうわけ。そんでもって患者からの信頼も厚いし、おまけにハンサムときてる。つくづく罪な男だと思うよ」
「……」
 恵麻は少しだけ鼻息を吹き出した。彼の軽口を聞くのは久し振りだった。
「でもね、こんな完璧な僕にも不可能なことがあるんだ。何だかわかる?」
 わからないので、「わかりません」と恵麻は答えた。陽気な医師は右手の人差し指を立て、それを自分の心臓のあたりに向けた。
「それはね、人を心の底から笑顔にさせることだよ」
 北風が吹き、落ち葉が舞った。体が冷えると困るので、話の続きは彼の車の中ですることにした。
 


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