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『彩音〜刻まれた夏の熱〜』
【その他 官能小説】

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『彩音〜刻まれた夏の熱〜』-2

擦れ違う。肩と肩。人混み。希薄な酸素。籠る熱気。ビルを見上げ、狭い空を確かめる。多くのショップが立ち並び、行き交う人々の中に、二人は居る。擦れ違う。顔と顔。視線。囁く、唇の動き。見ている。見られている。分る。いつものこと。“私”でなく、“彼”を見る女達の、視線。こめかみの横にある、彼の肩に、そっと頭を倒してみる。覗き込む様に、優しい笑みが、私を見てくれる。彼の、優しすぎる、笑み。信号が変わる。赤から、青へ。動き出した人の流れに、二人、歩を重ねる。横断歩道。彼の横顔を見る女達。細か(ささやか)でいて、露骨な優越感に、私は彼の指を強く繋ぐ。体温が一つになる。私のでもない、彼のでもない、全く別の体温が、指先に宿る…。

 恭一は、この街で、モデルの仕事をしている。新聞に折り込まれるチラシだとか、テレビコマーシャルだとか、時々、目にすることが、ある。もちろん、それだけで生活できる訳はなくて、ふだんは、コンピューターの入力の派遣社員と、レンタルビデオ店のバイトを掛け持ちしている。目立つほどの長身ではない。でも、美しく真直ぐに伸びた背は、人波の中で凛とした存在感を放つ。細く柔らかい髪。人工的にすら見える二重瞼。薄い唇。長い腕に、白い指先。恭一と一緒に出歩くことが、私の悦び…。愚かと言われても、恭一に目を奪われる女達を見るのが、たまらない快感だった。


 オープンカフェ。嫌いだった。人目に曝され、飲むなり食べるなりの行為が、どうしても下品に思えて仕方なかった。恭一と付き合って半年。そんな私の美意識も、大きく、変わった…。カップを片手に脚を組む。少し背を傾けてスプーンを運ぶ。深く座ってタバコを吹く。恭一は、全てが“絵”になった。私は彼の前で、雑誌をめくる読者となり、テレビを見る視聴者と、なる。気取ってなんかいない。自然なままで美しい恭一は、ある意味、罪だとすら感じる。そして…私達の前を通り過ぎる女達は、惹き付けられる様に、恭一を見る。なかには、わざとらしく携帯を取り出し、歩みを止め、液晶と恭一を交互に見る女も、いる。だから…オープンカフェが…今では、好き…。

 恭一には、特別な匂いは、ない。香水もつけないし、髪もワックスすら使っていない。撮影の時は、嫌でも塗りたくられるから…そう恭一は笑う。私は、知っている。恭一の…匂い。汗が蒸した肉体。“生き物”として恭一を感じる、体臭。私は、知っている。手足を大きく投げ出した、私の体に降り注ぐ、恭一の精液の、匂い。何の抵抗もなく、それを口に受け、何の抵抗もなく、喉を通すことも、ある。恭一なら…悦びとして、飲むことが、できる…。白濁色の、恭一の、精液なら…。私は、羨まし気に通り過ぎる女達を、目で送りながら、一人、恭一との行為を思い出して、笑みを零す。そんな時…決まって恭一は「?」な目で、私を包む。私は決まって…小さく首を横に振る。


 他人の視線を受けることで、感じるのが優越感。恭一の部屋で二人きりになって、感じるのが独占欲。灯を消した1DK。小さなベッド。黒のボクサーパンツ。恭一がブラウン管の明かりに、浮かぶ。真四角な冷蔵庫を開け、真っ赤なトマトを取り出す。ベッドに横たわる私の傍らに身を置き、ひとくち…ふたくち…熟したトマトを、恭一が、かじる。水々しい…その音が、ひどく淫らに私の鼓膜を撫でる。右の頬を、裸の恭一の胸に、置いてみる。頭上に聞こえる、トマトをかじる音が、恭一の胸を通して、反響する。見上げる。見つめる。顎を引き、恭一がトマトを差し出す。微笑む。口を開ける。舌先に触れる、トマトの冷たさと恭一の体温。小さく飲み込み、もう一度、裸の胸に頬を、置く…。

 深い緑の蔕(ヘタ)を、恭一が指先で摘み、ベッド脇のゴミ箱に、落とす。優しい指先は、さっきからずっと…私の髪を、耳を、滑っている。小さい咳払い。それが“合図”。いつもの、こと…。必ず、私を抱き寄せる前に…小さな咳払いを、ひとつ。瞬間。私の脳裏に、昼間の女達の羨望の視線が、甦る。あなたたちが羨む恭一と、私はこれから、求め合い、与え合う…罪深い優越感が、私の体に、熱を灯す。海を漂う流木に、つかまり彷徨う遭難者の様に、私は恭一の体に、身を寄せる。差し出された唇。閉じる、瞳。触れる、ぬくもり。迷い込む舌先。優しく包んで、絡める。息を漏らしながら、互いの唾液を交換する。耳たぶを滑る指が、うなじへ、移る…。背中に、波が、立つ…。


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