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レモネードは色褪せない
【ラブコメ 官能小説】

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ほんの気持ち-1




「あったあ」
 七瀬アイは溜め息と一緒に安堵の声を吐き出した。どうやら彼女のスマートフォンは彼女のバッグの中にあったようだ。おっちょこちょいだなあ、と独り言をつぶやいている。何はともあれ解決してよかった。
「どうもお騒がせしました」
 そんなふうに丁寧に頭を下げる後輩はやっぱり可愛くて、どんな失敗でも許せてしまうから敵わない。まだ後輩だと確定したわけじゃないけど、役目を終えたスマートフォンを返された僕は熱が冷めてしまうことをおそれ、しばらくのあいだそれを手の中で温めていた。
「あたし、そろそろ帰らないと」
 申し訳なさそうにそう告げる七瀬アイに、僕はぎこちなくうなずいた。
「こちらこそ付き合ってくれてありがとう。何もご馳走してあげられなかったけどね」
「いいんです。こうやってイツキ先輩と会えて嬉しかったし」
「そっか」
「うん」
 いい雰囲気になったからか、まだまだ話し足りないと焦っている自分に気付く。というか、僕らはまだお互いのことについて何ひとつ打ち明けてはいないのだった。
 僕のことを知っている彼女は一体何者なのか、僕の前にあらわれたのは偶然だったのか、彼女のことをもっと知りたいという欲求だけがラムネの瓶の底に沈んでいる。
 見慣れた町並みに溶け込む二つの影は離れるでも寄り添うでもなく、微妙な距離を保ったまま丁字路に差し掛かると、二つのカーブミラーが示すそれぞれの道を何の迷いもなく歩み始める。
「七瀬」
 僕は振り返り、彼女を呼び止めた。向こうもこちらを振り返る。
「さよなら」
 最後にそれを伝えたかったから僕は片手を挙げて言った。もう会えないかもしれない──そんなふうに考えていたからだ。
 でも、七瀬アイの撫子の花みたいな唇がふたたび開いた時、彼女は思わせ振りな言い方で返してきた。
「それじゃあ、また」
 ありふれた言葉だと言ってしまうのは簡単だけど、僕の心には確かに響いた。それじゃあ、また、の先にある未来を想像しながら体中の血が騒ぐのを感じていた。
 彼女と別れてからも僕はどこか夢見心地の中を歩いていて、気が付けばいつの間にか実家に辿り着いていた。まさかラムネにアルコールが入っていたわけでもあるまいし、と玄関のドアを開けるや否や母と鉢合わせになり、「ただいま」と息子の顔を見せてやった。
「おかえり。イツキ、あんた、その顔どうしたの?」
「えっ?」
「まったくしょうがないねえ。今すぐ顔を洗ってらっしゃい」
「顔?」
 僕は自分の頬を撫でながら洗面所に直行した。そういえば道行く人たちの視線も気になっていたし、駄菓子屋で会った男の子も変だと言って首をかしげていた。
 そうして何があってもおどろかないつもりで鏡をのぞくと、向かって右側のほっぺに赤い染みのようなものが付いていた。いや、よく見ると染みではなくてハート型の落書きだった。
 あの子の仕業だな、と僕は真っ先に七瀬アイの愛くるしい顔を思い浮かべた。列車の中でこそこそと人の顔に落書きをする彼女の姿を想像してみる。どうりで目を覚ますわけだ。
「もっと普通に起こしてくれよ……」
 洗面台に頭から突っ込んで顔を洗ってみたけど、七瀬画伯の渾身のアート作品はなかなか落ちてはくれなかった。
 とても悔しいが、「あたしからの、ほんの気持ちです」と、いたずらっぽく笑う彼女の顔が目に浮かぶようだ。
 今度会ったら文句を言ってやろう。まあ今度があればの話だけど、そんなことより、とにかく腹が減っている育ち盛りの僕だった。


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