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銀の羊の数え歌
【純愛 恋愛小説】

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銀の羊の数え歌−9−-1

 どうやってここまで帰ってきたのか、さっぱり思い出せない。気が付くと僕は、Tシャツとジャージにトレーナーを重ね着した格好で、自分の部屋の玄関に突っ立っていた。
スリッパを脱いで、暖房のかかったままの部屋へ入るなり、力無く布団の上へ倒れ込む。 疲れのせいか、それとも他の理由からか、体の節々がオイルの切れかけた機械のようにきしんでいる。
控えめに言っても、最悪な気分だ。
柊由良が心臓を患っている。畑野さんの口からきかされたその事実に、僕は、自分でも驚くほど動揺していた。
心臓病とは言っても、見ているこっちが呆れるくらい、あれだけ走り回ったり跳びはねたり出来るのだ。ひょっとすると、実際はそこまで心配する程度のものではないのかもしれない。けれど、何度自分にそう言いきかせても、鬱々とした気分はなかなか晴れてはくれなかった。
やり切れない思いを持て余しながら、よじるように体を仰向けにする。と、太もものあたりから紙のこすれる音がして、僕は慌ててポケットの中身を取り出した。
柊由良がくれた、封筒だ。
そういえば、寮を出る際に畑野さんが濡れた僕の洋服を洗っておいてくれるという
ので、ジーンズから、これだけを抜きとってきたのだった。すっかり忘れていた。
天井の明かりに透かすよう、じっとそれを眺め見る。もらった時より、随分としわだらけになってしまっていた。
何が入ってるんだろう、と僕は思った。佐藤さんからきいた話では、入所者の中で文字をちゃんと読み書き出来るのは、ほんの一部の人だけらしいから、ひょっとすると手紙以外のものかもしれない。
とにかくあけてみるか、と、体を起こして、しっかりと糊付けされた封を、破らないように端から丁寧にはがしていく。
中から出てきたのは、四つに折りたたまれた一枚の手紙だった。どうやら、柊由良は、読み書きの出来る方だったらしい。
そして、その手紙をひらいて見たとたん、僕は両目をしばたいた。思わず、あれ?
と、声に出してしまいそうだった。
そこに書かれていたのは、実際の柊由良からはとても想像のつかない、あまりに稚拙な文字の羅列だった。
信じられない気持ちで、途中何度もつまずきながらも読み進めていくと、さらに僕は動揺することになった。
文法のほとんどは全くかみ合っていないし、誤字や脱字も当たり前のようにある。
はっきり言って、読めない部分も何カ所かあった。 けれど、最後の一言。
「すきです」という四文字だけは他の文字より不思議に一回り大きく、しっかりと書かれていた。僕が本気で動揺したのは、まさにその一節が視界に飛び込んできた時だった。 同じことしか書かれていないのに、ばかみたいに何度も読み返してから、しずしずと目を離して、ようやく我にかえる。
まいったな、と僕は思った。
何がどうまいったのかよく分からなかったが、とにかくそんな気分だった。
このての手紙をもらうのは別に初めてというわけでもないのに、こんな気持ちになったは生まれて初めてのことだ。喜びとも悲しみともどこか違う。しいて言うなら、その中間に見え隠れする微妙な感情を、このつたない文章にわしづかみされたような、何とも形容しがたい複雑な感じ。
今日一日、随分と色々なことがあったから、疲れているのかもしれない。
はじかれるように体を横たえて、もう一度、手紙に目を戻す。すると、ふと思い出した。 初めて柊由良と窓越しに出会った日。確かあの日も、彼女を見つけた瞬間、
こんな風に、どうしようもなくはがゆい気持ちに駆られなかっただろうか。
まるっきり同じではないにしろ、そういえば今回も、あの時の状況によく似ているような気がする。


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