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素描
【SM 官能小説】

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素描-3

 まだ結婚する以前、燿子とつき合っていた頃、彼女があなたのものであることを当然のように思っていた。それはあなたが独りよがりに燿子という女性の幻惑の快感に浸ることを夢見ていただけだった。性愛以上に心の飢えを充たすことを予感させる女……それが燿子だった。しかし、あなたと燿子が結婚し、彼女と生活を始めたとたん、ガラス張りのふたりのあいだが醜く曇り、歪み、自堕落的に腐敗しはじめた。
混沌とした実体のない夫婦において、男と女の不在を隠匿するほどの幻想は生まれなかった。燿子があなたという夫に隷属する構図は、時間がたつにつれて消え去り、無責任に浮かび上がってきた夫婦の平穏な堕落の性愛という現実につぶされ、あなたも、そして燿子自身も欲望を失った。欲望の意味を失った夫婦の戯れは、欺瞞に充ち、牢獄とも言える無為の生活は色彩を失い、性愛は濃い倦怠に澱んでいった。そのときのあなたは、夫婦において作為的な仮面を被った、どこにでもいる見かけだけの凡々たる男以外の何者でもなかった……。

暗い廊下を隔てた次の展示室に窓はなく、壁の掲げられた十数点のデッサンはスポットライトの光によって浮かび上がっている。
あなたは思わず息をのんだ。一枚目、二枚目……すべてがさきほどの燿子の身体を描いているのは同じだが、体の部位のすべてが縄で縛られ、縄が喰い込んだ燿子の肉肌が何者かの指によって卑猥に触れられている構図が細緻に描かれていた。長く細く伸びた指は、象牙細工のように麗しいのに、どこかに毒を含んだように淫猥で、冷え冷えとした輪郭を冴えさせ、その指は、まるで奇怪な爬虫類のようにさえ思えた。

縄を噛まされた唇をなぞる指、縄が這った鎖骨の翳りを撫でる指、縛られた手首の先で喘ぐような手に触れる指、今にも乳汁が迸らんかばかりに縛られた乳房に喰い込んだ指、滑らかな下腹の輪郭を縄によってゆがませた肉肌に吸いついた指、ゆらゆらと揺れるような漆黒の陰毛と絡んだ縄をなぞる指、陰部の割れ目を深々と裂いた縄と淫唇を掻くような指……次のデッサンも、次のデッサンもすべてが縄で厳しく戒められた女体のあらゆる部位が、《誰かの指》によって淫靡になぞられ、どこからか聞こえてくる燿子の嗚咽を孕むように、冴え冴えとした清浄な線で浮かび上がっていた。

デッサンのひとつひとを喰い入るように見てまわるあなたの中で、燿子にいだいていた夢想を引っ掻くような息苦しさが泡立ち、弾け、萎み、蕩けていく。
 これは燿子の緊縛画なのだ、そして、指は南条画伯のものなのだ……あなたはそう確信した。燿子は画伯の手によって縛られることを受け入れ、デッサン紙に描かれ、もしかしたら縛られた自分の裸体画を描く以上のことを彼にゆるしている……。そして、あのころ、あなたが愛撫をほどこした燿子の体の、いや、心の隅々までが画伯の指にゆだねられているのだ。それはまぎれもなく燿子自身が、自らの肉体に刻まれたあなたの記憶を完璧に捨てたことを意味するのか……戸惑いと混乱があなたの脳裏の奥で渦を巻き、飛沫をたて、脳裏の堅い壁に叩きつけられる。


 息苦しさから逃れるように、あなたは展示室を出ると、庭園を囲む回廊式の外廊下に佇む。
 燿子と別れてから、彼女のすべてを忘れたわけではない、だからといって未練がましく彼女の記憶を求めているわけでもない。ただ、燿子のつかみどころのない情念の記憶だけが心とからだの片隅に、重たい鉛の塊のように甦ってくるのだった。
燿子の精神にあなたが異変を感じたのは、結婚して三年目だった。妻は不眠を繰り返し、自分の心を自虐的に追いつめ、得体のしれない幻覚に苦しんでいた。あなたと燿子のセックスレスの夫婦関係が、彼女の不感症を引き起こし、彼女を精神的に追いつめていったとも言えないではない。
 あるときから彼女は夜の徘徊を始めた。警察に保護されたことも何度かあった。仕事を終えたあなたが帰宅したときに、彼女はいつも不在だった。行先がどこであるのかも彼女はあなたに告げることはなかったが、あるとき燿子は、自分に好きな男ができ、彼の家を訪れていると呟いた。その男は若く美しい青年画家であり、《ある種の特別な情念》をもって彼女の絵を描いていると言った。その男こそ南条だったのだ。それは、あなたの感だった……細い手首に縄の条痕を浮かせた燿子が画家に縛られ、抱かれている……夫というあなた以外の男と特異な性を交わしている……。燿子は間違いなく自分のからだに向けられる、青年画家のきわめて肉質の官能的な視線を心と肉体に孕むようになっていた。
そして、ある日、燿子は離婚届をテーブルに残してあなたの前からいなくなった……。


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