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銀の羊の数え歌
【純愛 恋愛小説】

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銀の羊の数え歌−4−-1

それから数日間、僕の頭の中ではいつも同じ疑問が渦巻いていた。柊由良の両腕にある、あの縞模様みたいな傷痕。いったい、 どうしてそんな傷がついたのか。僕はそれが知りたかった。別に質問するチャンスがなかったわけではない。僕らは同じビニルハウスで仕事をしているのだから、むしろチャンスはいくらでもあったはずだ。
だったら何故、その時に柊由良にきかなかったのか。答えは簡単だ。ききたくてもきけない理由があったのだ。一緒にいるとつい忘れがちになってしまうが、どんなに普通に見えても、彼女は障害者なのだということ。そして、彼らはとても感受性が強いので、僕の何げない質問が、彼女の心を深く傷つける危険性だって十分に有り得るということ。それらを考えたら、個人的な興味本位だけでどうしてそんな質問が出来るだろう。僕が今に至っても、ズルズルと同じ疑問を引きずり続けているのは、つまり根底にそういう理由があるからだった。
数日後。
僕の研修が休みの日の朝だった。一人で悩むのにもいいかげん疲れ果ててしまった僕は、ついにその事を琴菜に相談した。『oz』という喫茶店の中でのことだ。店内には窓に沿って並べられた二人用のテーブル席がいくつかあったが、僕らは、それに向かい合うように緩いL字を描いて伸びているカウンター席の真ん中で肩を並べていた。
「だけど、手首に傷が集中しているわけじゃないって事は、自殺未遂ではないって事よね」 いれたてのコーヒーにさっそく角砂糖を落としながら、琴菜はそう言った。
土曜の、しかもまだ時間が早いせいだろう。 いつもなら学校帰りの女子高生や、若いカップルなんかでにぎわっている『oz』も、今は僕と琴菜の二人の客しかなく、
店内はまるで別の店のようにひっそりとしている。僕はあごをしゃくりながら、自分のコーヒーへ視線を落とした。琴菜の言葉を、頭の中で反復してみる。自殺未遂ではない。そう、僕もそう思う。でも、それならあの傷はいったい何を意味してるのだろう?前にも言ったとおり、あの怪我は事故で負ったものではない。それだけは確かだ。それに、誰かの暴力である可能性も薄い。もしも本当にそんな事があれば、大問題になるはずだ。 だとすれば、あれはもう本人がやったとしか考えられなくなるわけだけれど、自殺未遂でもないとしたら、どうして柊由良は、あそこまで自分の体を傷つける必要があったんだろう。
「いくら考えても無駄だと思うよ」
不意の一言に驚いて隣りを見ると、琴菜が二重のキョロキョロした瞳でじっと僕を見つめていた。そして、何か言いたそうな顔だな、と思ったところでやっぱりは言った。
「その柊って人も、知的障害者なんだよね」
琴菜には珍しい突き放した言い方に少しむっとしながらも、僕は黙って頷いた。
彼女はあごをしゃくりながら言った。
「私には専門的な事はよく分からないけど、でも、そういう人たちって、つまり特別な世界観みたいなものを持っていると私は思うの」
「世界観?」
「そう、世界観。当然、私たちにだってそれぞれ個々の違った世界観があるはずでしょう。
でも、私たちの場合はどんなに特別な世界観だと言っても、結局は全て常識の範囲内から出来ていると思うの。ここまでは分かる?」
僕は冷めかけたコーヒーをすすりながら頷いた。彼女は話を続けた。
「重要なのは、そこ」
「常識の範囲内ってやつ?」
「うん、そう。そこで私が思ったのは、知的障害者っていうのはひょっして、そのほとんどが常識の範囲外から出来た世界観を持ってるんじゃないかって事。つまり彼らの常識は、私たちの理解の外で、当然のように存在しているっていう事。そう考えれば、その柊由良って人の腕の傷もなんとなくだけれど、説明がつく…と、思うんだけど」
いつの間にか半開きになっていた口から危うくよだれがたれかけて、僕は慌てて口をとじた。驚いた。前から時々、とても難しい事をいうやつだとは思っていたが、それでもまさか、彼女からそんな見解が出るとは思ってもみなかった。僕の頭では、いくら考えたって、到底そんな事は思いつかなかっただろう。そして、あらかた話終えた琴菜の表情が、まるで別のスイッチが入ったかのように、さっきまでのそれと一変している事に気が付いたのは、僕が感嘆の声をあげようとして隣りを見た時だった。
思わずギョッとしてしまった。


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