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悦子
【SM 官能小説】

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悦子-6

 『人は皆大きく見れば昨日会い 今日愛し合い明日別れる

  フィエスタの騒ぎの後の静けさの 何故か寂しい南国の夜

  貧しくて何も食べない日もあると 若く綺麗な娼婦は語る

  胸に咲く赤薔薇ひとつキスの跡 怒りもせずに娼婦がこする

  雪の無い異国の土地に酔い痴れて 娼婦と歌う聖しこの夜』

 さあこれをあの女はどう解釈するのだろうか。迷った末に闇だの母性だのということに囚われずに自然体で選んだつもりだが、女が出てくれば母性と言い、夜が出てくれば闇と言うのなら、これらも闇と母性の歌だと言われてしまうのだろう。まあ、勝手に言いたいことをほざいてくれればいいのだ。俺は山辺に1万円寄付するだけのこと、と思っていつもの通り1万円札を1枚挟んで封入した。
 どうも文学少女という趣が強くてなじめないのだが、あの悦子という女は確かに外見は悪くなかった。悪くないどころではない。あれほど整った顔立ちの美人は今までの栄一の人生とは無縁であった。外見だけではない。雰囲気もまるで明治時代の貴族令嬢とでもいうような感じがした。今時くるぶしまで隠れるようなワンピースを着ている女などそうザラにいやしない。世間知らずだから男の1人住まいに夜1人で尋ねてきたりしたのだろう。それとも山辺に「江田栄一は作歌歴50年を超すお年寄りです」とでも吹き込まれたのだろうか。そういう冗談を真顔で言う奴だからあり得ないことではない。そうだとすれば栄一が余りにも若かったので驚いただろうが、そんな感情を外に現すのは失礼だとでも思っているのか、平然とこの狭いキッチンに膝付き合わせて座っていた。

 栄一が1万円入りの封筒を投函するのと入れ違いくらいに山本悦子から手紙が来た。

 「拝啓
   先日は夜分突然おじゃましましたのに快く接待して頂きました。お詫びとお礼の申しようが御座いません。
   先月発行された雑誌に掲載されていました先生の作品をいつもながら感心して拝読させて頂きました。ステレオタイプの解釈だと言われそうですが、今回の5作はいずれも先生の短歌世界の特徴でいらっしゃる闇の世界が背後に後退して母性が大きく前面に出てきているような思いを抱きながら鑑賞させて頂きました。先生のお作には女性が多く登場いたしますけれども今回の作品には、娼婦と踊り子という言葉が出てきました。初めてどんな種類の女性なのかが明らかにされた訳ですが、すると今までの歌に出てきた女性達もそういった類の女性達だったと解釈して宜しいのでしょうか。もしそうだとすれば、そうした言わば虚像のような世界に身を委ねている男が、足下の頼りなさを心の中に根付いている母性に縋り付くことによって救いを求めようとする姿が浮き彫りになってくると言うことが許されるのではないでしょうか。もしそれが正しいのだとすれば、今までの私の解釈は何ら手がかりになる言葉も無いままに只先生の作品が発する香気と妖気だけからほぼ正鵠を射た解釈をしていたことになるのですが。それは余りにも我田引水なのでしょうか。私は今回の作品に接して自分の解釈が的を射ていたという思いに感激しているのですが、先生はきっと又、ご自分の手を離れてしまった作品についての解説は拒否されるのでしょうね。次回作ご期待しております。次回作が雑誌に発表された後に又東京に出る機会がありますので、電話の上、お尋ね致したいと存じます。
              あらあらかしこ」

 うーむ、虚像の世界に身を委ねている男が母性に救いを求めているのか。なるほど、だから俺は女好きだったんだ。俺の心の中にはぽっかりと闇が口を開いているんだ。それで虚無的な影を俺はまとっているんだ。
 などと考えたりはしなかった。栄一は大学生時代にフィリピン旅行して何ヶ月か女を買いながら遊んできたが、別に心の中に闇があったから遊んだ訳ではない。楽しいから、ただ脳天気に遊びまくっただけである。しかしそれを何か高級な悩みのなせる業だったように考えてくれるのなら訂正しようとは思わない。ああいう女は何処か影のある屈折した男が好みだろうから勝手に栄一をそんな男に仕立て上げている。それならそれで結構である。影のある格好いい男に偶にはなってみたい。
 しかし、そろそろ栄一は悦子との付き合いがかったるくなってきた。あるがままの自分を見ようとしないで勝手に虚像を作り上げているのだから迷惑な話なのである。そんな男を演じるのは面倒でかなわない。

 山辺から雑誌が送られてきてまだ封も切らずにいるというのに悦子からの電話がかかってきた。


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