銀の羊の数え歌−３−-1
宿泊室は、研修生用に、独立した一つの棟として事務所に隣接している。部屋数は全部で十五ほどからなり、ちなみに今はその中の一部屋しか使用されていない。勿論、
使っているのはこの僕だ。部屋の中は八畳の和室で、冷暖房、テレビ完備。それに、シャワーつきのユニットバスもある。しかも先にも言ったとおり、この棟には僕しかいないわけだから、隣室に気を使ってテレビのボリュームをしぼったり風呂に入る時間を考えたりする必要もない。
まるで旅館の貸し切り状態である。でも、だからといって無駄に夜更かしをしようとは思わない。ただでさえ仕事のペースが人より遅いのに、寝不足が原因で他のみんなの足まで引っ張ってしまったら、その時点で僕はもうただの邪魔者でしかなくなってしまう。そうならないためには、やっぱり少しでも多くの睡眠が必要不可欠なのだ。風呂あがり。濡れた髪の毛をバスタオルで拭きながら、僕はテーブルのうえにおいてある箱から煙草を一本とり出した。換気のため窓を開けると、火照った体にはちょうどいい冷たさの風が流れ込んでくる。 (この一服をすませたらさっさと寝よう)
心の中で呟いて、煙草に火をつける。不意に、昼間の柊由良の言葉が耳元をかすめて僕はライターを持つ方の手を止めた。
「煙草って、おいしいの？」
それは午後の仕事を中断して、三時休憩をとった時だった。僕が、待っていましたとばかりにサウナみたいなビニルハウスを出て喫煙所へ向かうと、それにつられるように柊由良も後をついてきたので、てきっり彼女も煙草を吸うんだと思ったら、そうではなかった。彼女は僕と並んで喫煙所の壁によりかかると、好奇心に瞳を輝かせながらすぐにその質問を僕にくれたのだった。だったらどうしてここへきたんだろうと不思議に思いながら、僕は、
「おいしくはないよ」
と答えた。
「ただ、なんとなく吸っちゃうんだよね」
それをきくと、彼女はプッと吹き出し、
「なにそれ、変なのぉ」
と肩を揺らしてクスクス笑った。今日一日、僕らはずっと同じビニルハウスで仕事をしていたから、こうして会話を交わす機会がものすごく多かった。おかげで、僕は入所者の中でも特に彼女と仲良くなり、同時に誰よりも彼女を一番知ることが出来た。とは言っても、それほど特別な事ではない。 パンよりもご飯が好きだとか、趣味は音楽を聴くことだとか、猫アレルギーなのに、猫を見てしまったら、我慢出来ずについ抱いてしまう事とか。それに、二十歳という年齢の割りには口調や仕草がどことなく子供っぽい事とか、例えてせいぜいその程度だ。僕は、吸い殻を備え付けの灰皿へ捨てると、雲一つない空へ向かって、力いっぱい伸びをした。気温もちょうどいいし、密集した木々の間からは、しっとりとした風が絶えずそよいできてとても気持ちがいい。住めば不便な場所だろうけれど、たまにくる分にはちょうどいい心のリフレッシュになるんじゃないだろうか。ふと視線に気がついて隣りを見ると、柊由良がなにか言いたそうに僕を見つめていた。
「どうかした？」
と、きいてみる。
彼女は表情を崩さず、
「肩、凝ってるの？」
と言った。僕は頷いた。
「そりゃあ凝るさ。ずっと同じ作業してるんだもん」
とたんに、柊由良の表情がぱっと明るくなった。
「肩、揉んであげるよ」
「え？いいよ、そんなの」
「いいから」
彼女は自分のＴシャツの袖に手をかけた。
「ちょっと待っててね。これをまくらなくちゃ邪魔だから」
と、いそいそとまくりあげていく。
僕はそれを見ながら苦笑した。
（こういうのって何か、緊張するな）
ところが、ようやく彼女の準備が終わった時、その剥き出しになった両腕が僕に与えたのは、予想していたような緊張などではなく目をむくような驚愕だった。