〈微笑みの裏側〉-2
『その事務所の話を蹴ったのかい？大手も大手じゃないか。いやあ勿体ないなあ』
花恋をスカウトした芸能事務所は、かなりの力を持っている事務所であった。
最初はアイドルユニットの一員として売り出し、そして売れると判断するやＣＭ出演させ、［あのＣＭの美少女は誰だ］と芸能ニュース等で取り上げてもらい、一気にメジャーアイドルや女優に仕立てるという手法を得意としていた。
アイドル活動で売り、グラビアで売り、そしてＣＭやドラマで売り、そして最終的には映画の主演まで上り詰めた女優は多数であり、その事務所を蹴ると言うのは、例え孝明でなくても驚きを禁じ得ないものだった。
『……そうか……あの事務所からスカウトされたんだ……』
ようやく渋滞から抜け出せたステーションワゴンは“あのビル”の地下駐車場に潜り、二人はエレベーターに乗って事務室へと入った。
あの重厚な雰囲気漂う木製の机は相変わらずで、その上には卒業証書のような紙が二枚乗っていた。
『これが偽者の契約書だよ。作るのに五日も掛かっちゃったよ』
その紙は上部にデカデカと契約書と書いてあり、その下には小さな文字で何やかんやと書いてある。
その一番下には署名の欄と捺印の印が書かれていた。
この物々しい書面に花恋は怖さを感じた。
どう見ても本物の契約書にしか見えず、これにサインすると言うのは自滅の道への“手形”になるという不安を覚えたからだ。
『心配しないでよ花恋ちゃん。これは作り物の偽物。コッチが本物の契約書さ』
机の中から取り出した書類は、作りは似ているがサイズや紙質が違っていた。
それに契約内容を記した文字も大きくて簡潔で、確かに孝明が言う通り別物である。
『偽物の方の文字が小さいのは“わざと”さ。こんな文字を裕太が全部読みきると思うかい？きっと裕太は『見せろ』って迫るはずだから、その一歩先を読んで…ね？』
確かに口だけで契約したと言っても信用しなかった。見せろと言ってくるのは明らかと言えるし、しかし、この小さな文字ならば読む気も失せるはずだ。
『それと二枚あるのは一枚は花恋ちゃんに持っててもらう為さ。そっちを見ても信じなかったら、その時は俺が持ってるもう一枚を見せてやる。二枚も同じのが有るんだから信じるしかないさ』
孝明の説明を聞きながらも花恋は書面を読んでいた。
やはり書類にサインをするのは怖かったし、ここに書かれている内容を理解してからでなければ……という当たり前の考えを無視する訳にはいかなかったからだ。
(御社[以下甲]の契約書類に署名したる者[以下乙]は、乙の意思により甲に従うもので、これには第三者[以下丙]の意見、意思は反映されていないと認め、丙が甲に対して如何なる異議を唱えたとしても、乙は甲に………)
最初の一行を読んだだけで、花恋は頭が痛くなってきた。
読み飛ばしても乙だの丙だのといった文字が出てくるだけで、さっぱり意味が分からない。