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『秘館物語』
【SM 官能小説】

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『秘館物語』-12

浩志が館にやってきて、早くもひと月が過ぎようとしていた。最初の方は、自分の時間ばかりを送ってきた浩志も、物資の買出しに際しては荷物もちと運転手をすることにした。この館には、おそらく物資調達用のワンボックスカーが1台備わっていたので、それを使っている。いつもは望がその役割を担っていたらしい。碧は免許を持っていないので、そのサポート(荷物もち)に廻ると言うのがパターンだったそうだ。
 いくら館主の息子とはいえ、なにもしないまま生活を送るというのは気が引けたし、なにより買出しのパートナーが絶対に碧だったというのも、彼にとっては動機付けとして最大の理由だ。
 浩志は、碧に好意を寄せるようになっていた。
 初めからその雰囲気はかなり好きだったのだが、やはりそこは恋人と別れたばかり。無意識のうちに、ブレーキはかかっていたのだろう。
 だが、望が志郎との時間を多く取るということは自然、浩志との接点を碧は求めてくるわけで。次第に、碧と過ごす時間は多くなり、それに付随してお互いに知るところも多くなった。
 彼女の父親は、やはり志郎と同じ画家だったらしい。よく二人で何度も貧乏旅行をしたものだと、志郎から聞かされたそうだ。特別才能のある人間ではなかったが、誠実な人柄が画風に滲み出ていて、地道に歩めばそれなりの名も得ただろうと、夭折したことを志郎は惜しんでいた。碧の母親はそれより先に他界しており、ほかに身寄りのなかった彼女の身元引受人に志郎はなったという。
 これは、浩志も知らない事実だった。なにしろ、彼が高校生になってからすぐの話だから、既に旅の人であった志郎の動向を知る由もない。もっとも、無垢で嬉しそうにそれからの志郎の優しさを語る彼女を見ていれば、幸せだったことは良くわかる。
 高校卒業後すぐに、彼女は志郎の別宅へメイドとして働くことを望んだ。志郎は、世に出て幸せになるのが一番だと初めは反対したのだが、何処で覚えたものか玄関先に居座って動こうともしないので、さきにメイドとして志郎に仕えていた望の勧めも受けて許すことにした。それが、2年前の話という。
 いま、香住碧は二十を迎えたばかり。とはいえ、まだ十九にもならぬ浩志にとっては年上のお姉さんである。
 もっとも、普段の生活をみると、とてもそうは思えないのだが。
 彼女はとにかく、よく転ぶ。それこそ、何もないところでも。かつて望が言ったという、“尻重”というのは物理的にも真実なのでは、と思いたいぐらいに。
 あるときは、空から降ってきたこともあった。そういうと大袈裟だが、腰ぐらいまでの脚立の上に乗り、窓ふきの作業中にバランスを崩して倒れこんできたのだ。そのときはさすがに危険だと思い、身を呈して彼女を庇おうとしたのだが、その“尻”の下敷きとなり、見事にKOされてしまった。
 そのとき身体に乗ってきた尻の柔らかさと、目が覚めたときに自分にすがりついて、謝りながら泣きさざめいていた彼女の姿に、おそらく精神もKOされたのだろう。その日から完全に、浩志は碧の虜になっていた。
 碧の様子も、変わってきた。好んで、スケッチをする浩志の傍にくるようになり、絵の話から他愛のない戯言まで、何かあるとは自分から会話を求めて彼の気を引くように見える行動を取るようになった。もっとも、そのときの浩志は、それが自分の意識の変化によるところだと思い込んでいたから、彼女の気持にも変化があったことを見抜けてはいなかったのだが。
「浩志」
 そんなある日の夕食時。向かい合う志郎に、ふいに名を呼ばれ、浩志は食事の手を止めた。
「館の生活はどうだ?」
 低いが良く通る、重厚な声質である。
「とても、いいよ。こんなに、風景画を描いたのも久しぶりだね」
「そうか」
 志郎は、スープを空にする。すかさず傍に控えている望がそれを下げ、新しい皿を彼の前に出した。
「食事の後でいい。私に見せてくれないか」
「スケッチを?」
 碧が出してくれたマリネにフォークを入れたところで、浩志は動きを止める。父に、強いて絵を見せて欲しいといわれたのは、ひょっとしたら初めてかもしれない。
「この館に来てから浩志が描いた絵を、見てみたい」
「い、いいよ」
 よくよく考えてみれば、画家として遥か先にいる人からの言葉だ。
 浩志は、簡単なことに思えたそれに、ひどい重圧を感じ始めた自分を見つけ、以後の食事にはなにも味を感じることができなかった。


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