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気配
【スポーツ 官能小説】

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気配-3

「七分のデキで差し切りか。これで瀬田さんは本番、一番人気だな。……アイ様も無事、優先出走権確保、ってか」
「本番でも『アイ様人気』するやろ。距離もいけそうやしな」
 ――俺もかつて、あの中にいたはずだ。
「俺は同期の森田がトチってくれたことが嬉しゅうてしゃーないっすわ。ザマァー、降ろされてまえ」
 モニターへ投げられた嘲笑に憤懣が再燃して、背後から思い切り殴りつけたくなったが、折しも井野が振り返り、「そうゆーたら、杉島さんて、デビューしたてのアイ様とよー絡んではったんすよね? 田野山先生んとこで」





 田野山が管理するお手馬の調子を見に行った。オフシーズンに準オープンをクリアし、大きいところを狙うために出された短期放牧明けだった。
「――だいぶんしっかりしてきたな」
 田野山はやって来た征嗣に気づいているようだったが、ラップタイムの表示とコースで併せる二頭の様子を交互に見ていた。
「来週使いますか?」
「使ったほうがシャンとする馬だからな。まあ、今週末で判断する。杉島、お前来週はどこで……」
 征嗣を向いた老調教師は、来週の騎乗場所の問いかけをやめ、「……オープン初戦だ。再来週に回ると思ってたデピュティスコッチが、色気出してこっちを使いやがる。そうなりゃハンデは五十三か、ヘタすりゃ五十二だぜ。お前、大丈夫なのか?」
 鋭い目つきで、ウインドブレーカーにジーンズの上からでも体型を見抜いてきた。
「……。大丈夫です。来週までには落とします」
「そうしてくれ。休み明けで鈍いからな。思いっきり追わなきゃ、動かねえ。力入らないから追えませんでした、ってのは勘弁してくれよ」
「はい」
「ちょっと来てくれ」
 はい、と言ったのだから田野山はそれ以上何も語らず征嗣を引き連れていった。ちょうど体から薄煙を上げた二頭がスタンド前に戻ってきているところだった。
「どうだ?」
 馬体をチェックしながら問うた田野山へ、
「だいぶほぐれてきましたけど、やっぱり、仕掛けるとまだ少し硬さを感じますね。それに……」
 調教助手は後ろを振り返り、「前のラップがちょっと、でしたしね」
 と苦笑した。
「ま、そこはあまり言わんでくれ」
「わかってますよ」
「愛衣」
 調教助手を送り出した田野山は、併せた格下馬に跨る影へ手招きをした。
(これか……)
 競馬学校へ入学した時から数年ぶりの女性騎手と騒がれ、卒業時もニュースでもさんざん取り上げられていたのだから、征嗣も愛衣が田野山厩舎所属になったことくらいは知っていた。シルエットが近づいてくるにつれ、鞍上がしょぼくれているのがわかった。
「すみません……」
 田野山が管理馬の筋肉の様子を手のひらで確認し始めると小さい声で謝っている。
「……。まあ、こんなもんだな」
 その言いぶりから指示通りに走らせることができなかったのだろう。厩舎に入って調教をつけ始めたばかりで完璧に指示をこなせる新人などいないし、愛衣が跨っている馬には征嗣も騎乗したことがあったが、あまり口向きのよい馬ではない。
 とはいえ、調教は騎手の大事な仕事の一つであるのだから言い訳はできない。二十年以上騎手を続けてきて、何人もの新人を見てきたが、特に最近はすぐに自分のせいかどうかを問題にして言い訳から入る若手が多い。まず最初に謝れるだけマシかな、と征嗣は師匠にダメ出しをされている愛衣を何も言わずに眺めていた。
「まあ、悪いところは俺が言うよりも、現役のプロに諭していただいたほうがいいかもしれんな。……おい」
 田野山が征嗣を呼んだ。
「走ってるところ見てませんよ」
 微苦笑しつつ馬の傍らまで行き、気分が乗らないのに走らされてゴネ始めている馬の鼻面を撫でてやった。
「愛衣。杉島の名前は知ってるよな」
「は、はいっ、もちろん知っています。えっと……」
 先輩騎手を前にして高い馬上に居ることに焦った愛衣がぴょんと馬を降り、「田野山先生のところでお世話になることになった、西野、愛衣です。よろしくお願いします」
 と、頭を下げた。
「俺もあんたのこと、知ってるよ。有名人に名前憶えてもらってて光栄だよ」
 バネ仕掛けの人形のような動きにふき出しつつ言うと、頭を上げた愛衣は困ったような顔をした。田野山を一瞥すると、帽子を取って禿頭を撫でている。愛衣の緊張をほぐしてやろうかと思っての冗談だったのだが、何かマズかったのかもしれない。
「今週デビューするんだ。色々相談に乗ってやってくれよ」
 そう征嗣に言うと、田野山は手振りだけで愛衣に行っていいと合図をした。もう一度頭を下げた愛衣が、鞍に手をかけて飛び上がる。馬背に腹ばいになって片足で鐙を探していた。


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