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銀の羊の数え歌
【純愛 恋愛小説】

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銀の羊の数え歌−1−-2

その時だった。
ふと気配を感じて顔を上げると、一人の若い女の人が建物の窓辺にたたずみながらこっちを見つめていた。オフホワイトのワイシャツに空色のカーディガンを着た、僕と同い年ぐらいの人だった。けれど僕がはっと胸を突かれたのは、線の細い、その凜とした顔を見た瞬間だった。一瞬の三倍くらいの間だったと思う。図らずも、僕はその人に見とれた。彼女は僕と自分の視線が結ばれていることに気が付くと、ここからでも分かる程はっきりと顔を赤らめ、さっと顔を伏せたまま、そそくさと建物の奥へと消えていった。
ゴクリという、自分の喉の音で我に返ってもなお、余韻があった。
なんだかいたたまれないような、無性に泣きだしたいような、不思議な気分だった。
のろのろと、腰をあげる。僕は、その人が立っていた場所から目を離せずにいた。

職員室での挨拶を終えると、次に連れてこられたのは、寮の食堂だった。移動の途中で、 「とりあえず昼食をとってもらって、仕事は昼休みの後という事でお願いします。ああ、それと、食堂で牧野さんの事をみんなに紹介しますから。牧野さんからも一言二言でかまいませんので自己紹介してください」
にべもない口調で寮の職員さんは言った。ちなみに、彼の言うみんなとは、当然ここの入所者をさしている。僕としてはすぐにでも仕事に入りたかったが、しかたがない。それはどう考えても単なるわがままでしかないし、それにこんな時間にしかくる事の出来なかった僕が悪いのだ。ここでの自分の立場も引っくるめた上で、文句の一つでももらすわけにはいかない。職員さんに続いて食堂へ入ると、中では入所者の人たちがすでに食事の真っ最中だった。中は僕が想像していたよりもずっと明るい雰囲気で、ちょっとおしゃれなレストランのような作りになっている。促されるまま、彼らの前に立つ。と、僕の隣りに立っていた職員さんが、ぱんっぱんっと手を叩いた。
それまで下を向いていた彼らの顔が、さっと上がる。その視線が全部こっちに向いたのを確認したうえで、彼は僕の事をみんなに紹介してくれた。その後で、僕も今日に入って何度目かになる自己紹介をさせてもらった。月並みな挨拶ではあったけど、彼らからの喝采なんかあびたりして、それなりに歓迎された事が嬉しかった。 
「それじゃあ、あそこの棚に牧野さんの給食も用意してありますから。それを持って、空いてる席で食べてください。……ああ、それと、午後の仕事は一時十五分からですから。その時間になる頃に、他の担当員が案内しますので」
言われた通り自分の食べる分を棚から取り出すと、僕は早速、自分の席を探しに歩いた。 なかなかないもんだな、とキョロキョロしていると。ふと、すみっこの方で手招きするのが見えて、僕は振り返った。こっち、こっち、と聞こえてくる。何か用かと思って近づいてみると、頭のはげ上がったおじさんが目の前の席を指さした。
「ここ、空いてるよ」
見ればなるほど。空席が二つ。けれど僕が右側の椅子を引くと、おじさんが首を振って、 「ああ、そこは違う。空いてるのその隣り」 と、もう片方の椅子を指さした。一瞬、どういう事かと小首をかしげてしまったが、テーブルの上を見て、すぐにその意味が分かった。彼が違うと言ったその場所には、『柊由良』と書かれたネームシールが貼ってあった。気をつけて見てみると、他の席にもそれぞれのネームシールが貼ってあるのが分かる。ちなみにおじさんは『田中靖房』さんという名前らしい。
(なるほど。こうして席は決められているわけだ)
僕は何も貼っていない方の椅子を引くと、静かに腰を下ろした。
「柊さんは」
誰も何も聞いていないのに、田中さんが突然、話を始めた。こういう時は突っけんどんにしないで、話を聞いてあげた方がいい。 僕は田中さんの目を見ながら、頷いた。
「今日は病院だから」
それだけ言うと彼は立ち上がり、空になった食器を手に、流しの方へと行ってしまった。 (病院、ね)
クロワッサンをほお張りながら、隣りのネームシールへ視線を落とす。


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