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ヒューマン・ロール・プレイ
【調教 官能小説】

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〜 美術その4 〜-4

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 『ワード・デザイン』――文字は言葉であると同時に表現でもあります。 明朝体、ゴシック体、ローマン体、サンセリフ体といったレタリングに加え、太さや斜字体を駆使すれば、言葉に込めた感情まで伝えられます。

 デザインする文字に込める感情は『発情』です。 先輩は自分のオリジナルフォントで官能小説の一節を描いていました。 字体は太くて大きく、『止め』や『はね』が微かに震えていました。 読んでいてそこはかとなく恥ずかしい気持ちになりました。
 テーマを尋ねたところ、先輩が文字に込めた感情は『発情』でした。 実際に発情しながら――つまり自慰に耽りながら――文字を書くと、文字がかすれたり震えたりしたので、震えを取り込んでデザインしたとのことでした。 他のワード・デザインとしては、『辛抱』をテーマにして、宿便に浣腸したまま排泄を我慢する気持ちを文字に込めた生徒や、『搾乳』をテーマにして、乳房に吸引機をつけて噴乳しながらデザインした生徒もいたそうです。 


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 『ポスター・デザイン』――旧世紀近代に発達したポスターは、催し物や商品の宣伝として、伝えるデザインの役割を最も担ったといえましょう。 絵柄、文案、書体、技法、構成、配色のすべてを駆使することは当然として、新鮮なアイデアが求められます。 ということで、美術の授業では一通り学んだところで、ポスターの製作が指示されます。 広告対象は自分自身――即ち『自分の価値』を広告するポスターを作らされると教わりました。 

 先輩のポスターには大きく『いっぱい遠くまで飛ばします! ザ☆発射体!』と書いてありました。 文字の背後には、射乳している乳首のアップ、片方の鼻の穴を抑えて息を吹いて鼻クソをとばしている所、お尻を割ってオナラをイメージした煙を噴射している様子、四つん這いになった上で片脚を高々と掲げたドッグスタイルで放尿する場面……そしてM字開脚でクリトリスをつまんで潮を吹いている絶頂シーン。 ありとあらゆる恥ずかしい分泌物を噴出する――遠くまで飛ばすわけですから、噴出というより噴射の方が相応しいかもしれません――様子は、どれも丁寧に描きこまれていました。

 他の生徒の作品は『なんでもやります』とか『命令してください』とか、受け身な価値が多かったそうです。 先輩も最初は『学園が認てくれそうな価値は、自分にはない。 せめて指示に従う気持ちを前面に出そう』と思ったといいます。 ただ、他の生徒と重なるのが嫌だったから、情けない気持ちを押し殺して、自分を『発射体』に貶めることにしたんですね。 くだらなすぎる価値を前面に出したからか、他と違う点が評価されたせいかは分かりませんが、先輩のポスターには教官からお褒めの言葉があったということを、先輩は自嘲気味に話してくれました。 教官に褒められるなんて滅多にない学園ですが、先輩が褒められて嬉しかったかといえば、少なくともこのケースではNOと断言できます。 


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 たくさんの作品に散りばめられた、自己毀損に繋がる工夫の数々。 これがデザインの中身なら、私たちは美術を通じ、自分を貶める発想と技術を学ぶことになるんだと思います。 

 言葉には言霊があるといいます。 毎日『自分はミジメで無価値な変態だ』と呟き続ければ、やがて内面が『ミジメで無価値な変態』に近づくそうです。 言霊と同じように、もしもイメージに魂が宿っているとすればどうでしょう? こうやって自分の体のことをいやらしく表現し続けるうちに、身体もいやらしく変容してしまうんでしょうか? それとも、思考体形そのものが変態を平常に置き換えることになるんでしょうか? 

 答えを求めるつもりはないし、答えがあるとも思いません。 私の価値なんて学園では果てしなくゼロに近いし、社会にでたってそうなんでしょう。 そして自分の価値が低いことを、自分自身で表現する日々が続くんだろうなっていうのは分かっています。 価値の低さを表現する技術――美術の時間で学ぶ内容ですね――が必要なことも分かっています。 それでも心の片隅くらい、自分に正直でいなくちゃ生きていけないです。 あくまで自分は自分なこと、自分への想いは自分で決めていいこと――そして私は私が大好きなことだけは、忘れずに灯し続けようと思います。
 
 


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