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秀吉の世継ぎ
【女性向け 官能小説】

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秀吉の世継ぎ-5

7.
 程なく、茶々様ご懐妊。
 秀吉の喜ぶまいことか。
 これで、世継ぎの心配は無くなった。
 冶長の秀吉影武者努めも、一先ず解任となった。

 秀吉とおね様の同衾は、焼けぼっくいに火が付いた例え通り仲睦まじく続いたが、当然、やや子の出来る気配はない。

 茶々は太閤秀吉お世継ぎの生母として、淀の方様と呼ばれるようになった。

 が、人の生死に、身分の差は無い。
 折角誕生したお世継ぎ鶴松は、残念ながら病に犯され、二年に至らず死んでしまう。

 またもや大野冶長が呼び出されて、茶々との夫婦ごとが再開される。
 一番喜んだのは大野冶長、淀の方も子供を亡くした悲しみと引き換えに、冶長との愛情交歓を復活して、悲喜交々。

 若さとはたいしたもの、淀の方、夜毎、冶長と睦み合った甲斐あって一年足らずで再びご懐妊。
 お世継ぎの男子を出生、お拾と名づけられ、秀吉、淀の方様の愛情を一身に受けて大事に育てられ、今回はすくすくとご成長。
 やがて秀頼と改名、太閤秀吉の世継ぎと目(もく)される。
 
 おりしも、太閤殿下は朝鮮への出兵に執着され、又、鶴松亡きあと、一時姉の子、秀次を養子として関白太閤を継がせたが、秀頼の誕生により秀次の謀反を心配して死に追いやるなど、異常な行動が目立つようになる。
 そんな中、1599年、関白豊臣秀吉は、世継ぎの安泰を心に残しながらこの世を去る。


8.
 秀吉亡き後、淀の方は大野冶長を側近に置き、秀頼を立てて権勢を一手に握るが、やがて関東の徳川家康の圧力が高まり、豊臣方は石田三成を総大将に、徳川家康と天下を争うことになる。
 1614年大坂の陣、1615年大坂夏の陣、二度の戦いに豊臣方は破れ、大阪城は火の手を揚げて落城。

 信長、秀吉と異なり、家康は老練な政治感覚の持ち主。
 豊臣秀頼には、孫娘の千姫を嫁がせている。
 茶々の側近、大野冶長を中に立てて、和平の道を探るが、一途に秀頼の天下人を望む淀の方が応じようとしない。
 やむなく、大坂城に火を放った。

 迫り来る火の手に、秀頼、千姫、淀の方、大野冶長が、奥の一室に追い詰められた。
「茶々、折り入って話がある」
「何事です?」
「家康様から内密の伝言でござります。家康様の申しますのに、この期に及んで不要な殺生は望まぬとのこと。そもそも秀頼には豊臣の血は流れておらぬ、さすれば、豊臣家再興の謀反の恐れもない。淀様、冶長、秀頼、千姫、が一家をなして、どこぞで静かに暮らしてくれぬかと」
「まあ、家康は、われらの隠し事をごぞんじなのか?」
「世間でも間々噂が流れておりますれば、あの家康様が事実をご存知無い筈がございません」
「さようじゃのう、秀頼を天下人にと言う望みが断たれた今となっては、家康の申すとおり、豊臣家など最早どうでもよい。そもそも秀吉は、茶々の父、浅井長政と養い親、柴田勝家を殺した親の仇」
「おね様は僧籍に入られ、太閤殿下を弔いながら静かにお暮らしになられるとのこと、豊臣のことは忘れて、親子仲睦まじく息災にとのお手紙を頂いております」

 冶長はこの日を予期して、家康に内諾を得て、大坂城、脱出の準備を進めていた。
 朝鮮出兵で外洋船の取り扱いになれた腹心の武士を集め、又、堺の南蛮貿易の商人と図って、ルソン(フィリピン)に貿易拠点を作る手はずを整えていた。
 いくら家康の許しがあるとはいえ、目と鼻の先に天下分け目の戦いの相手が居ては、お互い気が休まるまい。ルソンまで逃げ延びてしまえば、後は野となれ山となれである。。



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