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毛玉と弟子
【ファンタジー その他小説】

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けむくじゃら-1





『けむくじゃら』


 誰が最初にそう呼んだのか。

 見世物屋の片隅で息を潜めて生きていたそれが有名になり始めた頃のこと。物見の群衆の中にとある有名司会者がいた。彼は自分のラジオ番組でこう言った。
『一日に数百人が泥まみれの靴で往来する廊下を拭き続け、おびただしい悪臭を放ちながら掃きための中で焼却されるのを待つ雑巾だ』と。強烈な言葉で喩えられたらものがどんな姿か、人々は大いに興味をそそられ見世物屋へ足を運んだ。
 堅い岩石から切り出した一坪の広さの岩の床。人の手が通るほどの間隔で冷たい鉄の格子が四方をぐるりと囲っている。呼び名の由来となった毛は荒れ地の蔓草のように気ままに伸びて幾重にも絡まりながら頭の先から足の先まで覆いつくし、まるで一つの塊だった。奇っ怪な姿とドブの水で染めたような色と臭いが周囲に人を寄せ付けない。
 世間の知るところになってからは冷たい格子の向こう側に人を見ない日はなかった。いつも周囲をたくさんの人が取り囲む。みな、皺を寄せた表情をして口から音を出しながら分厚い布で鼻を押さえていた。
 檻の中に隠れる場所などありはしない。だから、けむくじゃらは真ん中でじっとしている。明るくなってから暗くなってまわりに人がいなくなるまでずっとだ。光がなくなると少しだけ歩き回る。格子に近づくのは、人が集まる前に格子の間から小さなパンと岩塩のかけらと水気の多い果物が一つずつが放り投げられる時だ。それらを毛の中に覆い隠すと、また元の場所へと帰って行く。
『見世物屋はぐるま』
 それがけむくじゃらのいる場所の屋号だ。達者な芸や不思議なものや気味の悪いものをたくさん集め、見せ物にして金を稼ぐ。数ある中でもけむくじゃらは一番客を集めるようになった。魔法使いや魔女達の底なし沼のようなひどい戦争が十数年前に終結を迎えて以来、世間は表立った戦もなく平和だったが、何かしら悪いことや不幸な出来事がいつも絶えず、誰もが悲観的な想いを抱えて生きていた。だから、自由もなく、汚くて惨めなものを見て、自分はこれよりもずっといいと再確認出来て心を軽くさせる。少しでも楽になりたい人ほど、何度もここにやってくる。
 けむくじゃらは誰が置いていったかもわからない目に見えない色んなものを毎日毎日一塊の体に溜め込んでいった。
 緩やかで小さな変化は認識しにくいものだ。いつも餌を投げ込むだけですぐに立ち去る従業員では気付けなかった。いつも胸の内に秘めた泥をぶつけていく客もわからなかった。最初に気づいたのは、久し振りにけむくじゃらを見た老人だった。

 大きくなっている……?

 生き物は大概大きくなるものだ。しかし、成長する期間は決まっていて、それを過ぎると大きくなることはない。
 この生き物は、何年、生きているのか。
 記憶を呼び起こしてみる。某番組の司会者がけむくじゃらを揶揄した頃からゆうに十年は経とうとしている。十年。大型の動物なら合点もいくが、目の前の生き物はどの種にも当てはまらない。
 では、けむくじゃらは一体なんなのか。

「これは、なんて生き物だ……!?」

 声は群衆の黒い囁きの中に一点の異色として現れたが、波に飲まれてすぐに溶け込んで見えなくなった。
 老人は胸の中にどす黒い恐怖を植えつけ、二度とけむくじゃらを観に来ることはなかった。


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