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真田拾誘翅(さなだじゅうゆうし)
【歴史物 官能小説】

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拾伍-4

 次なる戦では、久乃も秘術『影負ひ』を施す場に臨み、命を懸けて徳川方と戦うことになる。その覚悟は出来ていたつもりだが、今、又兵衛の口から「死ぬことになるであろう」と聞かされ、同じ道を辿るのだな、と思うと妙に切なさが込み上げてくるのだった。
 涙を拭った久乃は又兵衛の誘いに応じ、彼の陣屋まで足を運んで陣幕の張り巡らされた小さな寝所で身体を重ねた。
 その夜、久乃は又兵衛に心を込めて愛され、「ああ、やはり私はこの人のことが好き」ということを実感し、暁の別れの時には、新たな涙で袖を濡らしたのだった。

 四月二十七日、大坂方の大野治房は城から五里以内で戦うという約定を破り、七里ほど東にある大和の郡山城を二千の兵で攻めた。城主の筒井正次が豊臣方から徳川方へ寝返ったことを誅するために出撃したのであるが、兄の治房とは違い血気に逸(はや)るところのある治房らしい行動だった。これが大坂夏の陣の前哨戦となる。
 翌二十八日、徳川方の和歌山城主、浅野長晟は五千の兵で進発。治房は紀伊領内で一揆を起こさせ、それに乗じて浅野勢を打ち破ろうとしたが、一揆は鎮圧され、治房勢の中に功名に逸る塙団右衛門などの部将もいたため戦術に齟齬が生じ、結局、治房は大坂城へ逃げ帰ることとなった。
 五月五日、家康は二条城を、秀忠は伏見城を発して河内に出陣。駆り出された東軍の大名たちは、藤堂高虎を先陣に、井伊直孝、水野勝成、本多忠政、松平忠明、伊達政宗らが布陣した。
 井伊直孝は真田丸の戦いの折、早喜により功名心を煽られて抜け駆けし、豊臣方鉄砲の猛射を浴びて手ひどい損害を被っていた。それゆえ、汚名返上とばかり、勇んで出張ってきていた。
 同日、幸村は後藤又兵衛と協議し、翌六日に、大坂城から東南に下ること約三里半の道明寺で合流し、河内国分にて敵を迎え撃つ、ということを決めた。
 そして、幸村たちの動きを察知するがごとく、狐狸婆、いや、今や山楝蛇(やまかがし)のくノ一へと変貌したお婆が大坂へ姿を現した。

「お婆、なんだか若返ったように見えるな」

八魔多の言葉を山楝蛇は薄く笑って受け流した。

「ようやく昔の秘術が使えるようになったわい。さて、大坂に着いたそうそうじゃが、道明寺へ行って術を仕掛けねば……」

「道明寺?」

「そうじゃ。そのあたりを通って幸村たちが徳川方に攻め寄せる。邪魔立てせぬと家康は痛い目に遭う」

「卦に出ているのか?」

「ああ」

「しかし、細かい場所までよく分かるものだな」

「わしを誰だと思っておる」

「ふ……、そうだな。この俺を鍛え上げ、ここまでにしたのもお婆だ。神懸かった八卦見も造作無いこと……」

「ここまでになった高坂八魔多も、そろそろ危ないぞ。……おぬしには死相が見えておる。ゆめゆめ油断するでない」

「俺様に死相だと?」

八魔多は笑い飛ばしたが、山楝蛇は真顔で彼を見つめ、やがて静かに視線を外すと、背を向けて歩み去った。


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