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真田拾誘翅(さなだじゅうゆうし)
【歴史物 官能小説】

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拾参-4

 逆茂木の数カ所が破られ、斜面をよじ登る敵兵が出始める。火縄銃を構える城兵は気が気でない。そして、急勾配にへばりつく徳川勢が鈴生りになった時、初めて幸村の眼(まなこ)が、かっと見開かれた。

「放てーーーーーー!!」

大音声の号令に筧十蔵の銃が火を噴き、同時に飛奈が発砲し、後は雪崩が起こるように無数の銃声が轟いた。
 城壁の上に白煙の帯が発生し、斜面から敵兵がバタバタと落ちる。銃声は鳴り止まず、急勾配の下にたむろする大勢も次々に倒れてゆく。密集しているため逃げ場がなく、後方に向かって「もっと広がれ!」と叫ぶも、銃声・鬨の声・悲鳴によって掻き消される。寄せ手には始めの寸刻だけで多大な死傷者が出た。

「おっぱじまった、おっぱじまった。おい、伊代。炮烙玉の用意はいいか?」

男髷を結い、銃の煙よけのために布で鼻と口を覆った稀代が櫓の塀にへばりつく。

「睦の父御(ててご)、望月の六郎おじがたんまりこしらえた炮烙玉だ。売るほどあるぜ」

伊代もぎらつく目だけを出して布越しのくぐもった声を上げた。

「それじゃあ、見舞うぜ、炮烙玉!」

「よっしゃーーーー!」

短い導火線に火を付けざま、稀代・伊代が炮烙玉を投げる。怪力ゆえに玉は空堀を埋め尽くす敵勢の後方に落ちて爆発。姉妹は炸裂する玉を続々と放り、あちこちで轟音・叫喚が巻き起こる。敵は退こうとするが、混乱した者は方向が分からなくなり前へ駆け出す輩(やから)もある。そのため、城壁下の寄せ手は密度が増し、鉄砲の餌食となる者が跡を絶たなかった。

「小癪なまねを……」

混乱の後方で歯噛みをしたのは高坂八魔多だった。その怒気を察知したようにスルスルと近づいたのは、彼の配下の中で最も手練れである風魔小太郎。

「八魔多の大将、俺に任せな。あの櫓の二人、始末してくるぜ」

言うや否や、怪鳥のごとく跳び上がり、群れなす兵の頭を次々と踏んで櫓へ近づいていった。
 戦の騒ぎの中、稀代・伊代の二人は急接近する殺気をふと感じたが、身構える寸前に小太郎の忍刀が稀代の喉笛を斬り裂いた……かに見えた。だが、彼女は咄嗟に首をすくめたので、刃は頬を浅くえぐる形になり致命傷にはならなかった。小太郎は櫓の柱に取りつき、不敵な笑みを浮かべた悪相を向ける。

「こんの野郎!」

頬から血を流しながら稀代が殴りかかり、伊代も続くが、彼女ら、膂力はあれど敏捷ではなかった。小太郎の素早い白刃の舞に、稀代は腕に新たな傷をこしらえ、伊代は脚を斬り裂かれた。このままでは二人の傷は増えるばかり。
 そんな二人の前へ二つの影が降り立った。早喜と沙笑だった。彼女らは城壁の上を駆けながら敵の眼窩や人中の急所を狙って苦無(棒手裏剣)を打つという神技を繰り広げていたが、仲間の危急に気づき、櫓へ駆け登ってきたのだった。

「どこぞで見かけたぞ、この曲者」

早喜の言葉に「そうかい。あたしは初見参」と沙笑は言いざま鋭く小太郎へ斬りかかった。彼女の動きは稀代らの比ではなく、小太郎は目を丸めながら攻撃を忍刀で受け払った。そこへ早喜も参戦したので、さしもの小太郎も徐々に劣勢になっていった。

「……ちっ。小癪な」

小太郎が舌打ちすると、さらなる加勢が稀代姉妹の後ろに姿を現した。早喜・沙笑の兄たちだった。

「おやあ? 見た顔だなあ。……江戸の道場以来か?」

と言いながら進み出たのは霧隠才蔵だった。

「なるほど、こやつ、確かにあそこにおったな」

猿飛佐助も前に出る。
 二人の殺気は早喜・沙笑とは比べものにならなかった。「今、戦えば負けるは必定」と悟った小太郎は真後ろへ跳び、櫓の縁を蹴って大きく跳躍し、そのまま下の雑兵の群へと溶け込んで姿が見えなくなった。
 妹との再会も束の間、佐助と才蔵は激励を目で伝えるとすぐさま櫓を飛び降り、小太郎の後を追った。残った早喜・沙笑は稀代姉妹に急場の手当をすると、八丁目口方面へと駆けていった。

 その八丁目口には井伊・松平・藤堂の兵が攻め掛けていたが、巨石を積み上げた石垣に進軍を阻まれていた。そこへ城内から鉄砲が万雷を轟かせ、横手に張り出す真田丸からも鉛玉の猛射が襲う。徳川勢は斃れる者が続出し、後ろに下がれぬ兵は石垣にへばりついて上から来る鉄砲玉から逃れようとした。が、八丁目口城壁にすがる敵兵は真田丸から狙い撃たれ、真田丸城壁の真下の徳川勢は本城から狙撃された。かような十字砲火という状況を生み出したのも出丸の効用だった。古(いにしえ)の上田合戦の折、真田昌幸が用いた出丸での戦いに習った幸村の戦法である。

 戦いは朝から始まり昼を過ぎたが、幸村は形勢有利の手応えをつかみ、それを確信に変えるべく、子息真田大助と軍監伊木遠雄に兵五百で打って出るよう命じた。
 早喜との交情を果たし、心にどこか余裕の出来ていた大助は初陣の緊張もなく、真田丸南面に展開する前田隊に突撃し、いったん退いては八丁目口城壁真下ですくみ上がる敵勢を蹂躙。そしてまた前田の兵に襲いかかり大いに損害を与えた。

 攻める下知を発した覚えもないのに戦端が開かれ、夥しい負傷者が出ているとの報を受けた家康は激怒したものの、すぐに手を打った。ただちに撤退の伝令を複数走らせ、これ以上の被害を食い止めようとした。しかし、前田・井伊・松平・藤堂らの将は誰もが先に兵を退くのを潔しとせず、加えて鉛玉がなおも頭上をかすめ飛ぶので動くに動けなかった。
 再三の撤退命令が出て、真田丸から一番遠い位置にいた井伊隊がようやく戦場離脱を始めたのは午後三時頃であった。

 結局、一万五千人を越える大損害を被った徳川勢。敵をおびき寄せては痛打するという真田のお家芸で苦杯をなめさせられた家康は、かつての二度にわたる上田合戦を思い出し、

「昌幸ばかりか、その息子の幸村にも、まんまとしてやられたわい」

悔しさにギリリと歯噛みをしたという。


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