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真田拾誘翅(さなだじゅうゆうし)
【歴史物 官能小説】

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拾弐-4

 大坂城の丑寅(東北)の方角を流れる大和川。その南岸にある鴫野村には豊臣方の将、井上頼次が三重に柵を設置し、二千の兵で守っていた。そこへ十一月二十六日、上杉景勝勢五千が攻め寄せた。
 上杉家は以前、家康に敵対していたが、関ヶ原の役以降は減移封されて徳川の傘下に入っていた。家康は上杉が本当に恭順しているかどうかを試すつもりもあり鴫野村攻略を命じたのである。
 上杉勢は謙信公の頃より戦巧者で知られていたが、評判通り鴫野の柵を打ち破り井上頼次を討ち死にさせた。焦った豊臣方は大野治長に一万二千の兵を預けて反撃に向かわせた。一時は敵に損害を与えたが、結局、上杉の鉄砲隊・槍隊の猛攻を受けて敗走してしまった。
 同じ日、大和川北岸の今福村では豊臣方の将が六百ほどで堀や柵を設け守っていた。そこへ佐竹義宣勢千五百が攻めかかり柵を蹂躙。このままでは今福に徳川の付城(敵の城を攻めるために築く城)が出来てしまうと危ぶんだ大坂方の木村重成は手勢を率い出陣。
 重成は幼少から秀頼の小姓として仕えていたが、今や立派な若武者となっており、数に勝る佐竹勢と互角の戦いを繰り広げた。が、大和川を挟んで戦いを有利に進めていた上杉勢の一部が川越しに鉄砲を撃ってきたため、重成は窮地に陥る。
 これを大坂城の天守から見ていた秀頼は後藤又兵衛に救援を指示。三千に膨れあがった木村・後藤の混成隊は佐竹勢を押し返した。しかし、上杉勢の他に堀尾・榊原の軍勢が大和川の中州まで出て銃撃を加えたため、豊臣方は撤退を余儀なくされた。

 鴫野・今福の戦いは豊臣方にとって芳しいものではなかったが、その戦いの様子は口づてに真田の傀儡女たちにも伝わった。

「大和川の周辺は湿地帯なので、舟戦の得意な私の父が加わったんだけど、途中までは勝っていたんだって。それが、上杉めの銃撃を横からくらって形勢逆転。逃げ帰るしかなかったって……」

音夢が肩を落とした。その肩に久乃がそっと手をやる。

「音夢の父御というと根津の甚八様。九度山では沼地で小舟による戦の訓練をよくやっていらしたわね。大坂城の周辺は湿地が多いこと、ご存じだったのね」

「そうなの。せっかくの舟戦。それも、名高いつわものの後藤又兵衛様と一緒に戦ったのに勝ちを拾えなかった。……ああ悔しい」

又兵衛の名前が出て、音夢の肩に置かれた久乃の手がピクリとしたが、

「まだ戦は始まったばかり。これからご活躍の場がいくらでもあるでしょう」

三歳年下の傀儡女を励ました。

「うん。そうだね。……父は敵の銃撃で脚にかすり傷をこしらえたんだけど、こんなものは傷のうちに入らないって言っていた。あ、でも、後藤様も負傷したみたい」

「えっ?」

久乃の手は、今度はピクリでは済まなかった。

「後藤様も左腕に銃弾を受けたんだって。負傷しながらも采配を揮う様子を見て、さすがは歴戦の猛者だと父が感心していたよ」

「腕の傷は深かったの?」

「よく分からないけど、深手ではないみたい」

「そう…………」

久乃は一応は安堵したものの、又兵衛のもとに出向き、介抱したい思いが込み上げていた。


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