投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

真田拾誘翅(さなだじゅうゆうし)
【歴史物 官能小説】

真田拾誘翅(さなだじゅうゆうし)の最初へ 真田拾誘翅(さなだじゅうゆうし) 40 真田拾誘翅(さなだじゅうゆうし) 42 真田拾誘翅(さなだじゅうゆうし)の最後へ

拾壱-1

 幸村のもとへ大坂城から使者が訪れたのは慶長十九(1614)年十月であった。
 黄金二百枚、銀三十貫を贈られた真田の頭領は入城の申し出を受け入れ、準備が整い次第、九度山を抜け出ると約した。
 使者が帰ると幸村は即座に配下を呼び集め、季節(とき)が来たことを告げると矢継ぎ早に指示を出した。奈良に海野六郎を走らせ甲冑を用意させ、堺に穴山小助を遣って鉄砲を買い求めさせた。筧十蔵には紀州北西部の鉄砲集団雑賀衆へ合力するよう説得に赴かせ、猿飛佐助、霧隠才蔵ら残る七勇士は大坂城とその周辺の土地を調べるために散った。早喜ら拾誘翅は千夜の指示のもと信濃、甲斐に飛び、あらかじめ心構えをさせていた旧家臣に大坂結集を呼びかけた。

 幸村は九度山を抜け出ると口にしたが、紀州藩の監視の目と、幕府伊賀者の見張りの目が邪魔だった。そこで一計を案じ、酒宴を催して近在の年寄や主立った者を招き、酔いつぶしたところで一族郎党ことごとく山を下りようと考えた。しかし、祭りの季節でもなく昌幸の法要でもないのに宴を催すのは不自然だった。

「では、真田傀儡一座が解散するので、最後の興行を地元で大々的に行うことにし、勢いで酒宴へなだれ込んではいかがでしょう」

千夜の言葉に幸村がうなずき、速やかに手はずが整えられ、十月九日の夜を迎えた。
 紀ノ川を見下ろす丘に幔幕が張り巡らされ、急ごしらえの舞台の上で、まずは宇乃の踊りが披露された。出雲のお国直伝の傾(かぶ)いた踊りは喝采を浴び、続く稀代・伊代姉妹の米俵の投げ合いで皆は度肝を抜かれ、音夢らの人形の動きに目を奪われた。そして、早喜の美声で地元の俗謡などが唄われる中、皆に酒が振る舞われ、いつしか賑やかな宴へと移行した。
 酒を好む者は浴びるほど飲ませて泥酔させればよかったが、酒をたしなまぬ者も中にはいた。しかもそれが小うるさい名主だったので幸村は千夜に「いかがいたす」と目で合図したが、そういう時は絹隠れ沙笑の出番だった。
 沙笑は名主に擦り寄り、「ん? おまえ誰じゃ?」「誰だっていいじゃないのさ。それよりも、ちょいと……」言葉巧みに誘惑し、手を引いて人混みを抜け、ひとけのない小屋へと連れ込んだ。そして、ありとあらゆる手練手管で名主を意馬心猿の状態にし、事に及び、朝まで寝かせなかった。

 そして、黎明。
 酒気の名残漂う九度山の丘には、酔いつぶれた者が折り重なるように寝転び、離れた小屋の中では精を搾り取られて青息吐息の名主の姿があった。
 幸村は下山の折、昌幸の墓に手を合わせ、武勲を上げることを誓った。そして、亡父の想いを背負うようにして九度山を後にした。時に幸村四十八歳。年齢的にも名を上げる最後の機会であった。
 大坂へは紀州藩の警邏の中を歩かなければならなかったが、筧十蔵の呼びかけに応じた雑賀衆や、信濃・甲斐より急ぎ馳せ参じた旧家臣らが続々と集まり、百余名の集団となっていたので藩士たちは迂闊に手を出せなかった。特に先頭で三好青海入道・伊三入道が睨みをきかせ、加えて稀代・伊代姉妹が女だてらに大刀を抜き身でギラつかせながら闊歩したので近寄ることも出来なかった。しかし、幕府より監査を命じられていた紀伊の浅野家は豊臣恩顧の大名であったために敢えて幸村らを見逃したというふしもあった。


 大坂城は天正十一年に豊臣秀吉が石山本願寺の旧地に築いた巨城で、東西二十三町(約2.5キロメートル)南北十八町(約2キロメートル)という広大な敷地に建っている。西は大坂の入り江、北は天満川と大和川、東は猫間川と、天然の堀割となっており、唯一南側だけは深い空堀を穿っただけで、その先は台地が延々と続いていた。
 先だってこの地を検分させていた佐助からの報告である程度地形を把握していた幸村ではあったが、実際に城へ近づいてみて大坂城は南側が弱点だと再認識した。

「しかし、築城名人の太閤殿下が作りし城にしては妙だな。南の守りが薄すぎる。大助、おまえはどう思う?」

話を振られた幸村の子息大助は十二歳になっていた。

「南の空堀の地面、実は底無しの砂地になっており、そこへ降り立った敵兵はズブズブと沈み込むのでは?」

若者の奇想天外な答えに幸村は失笑しそうになったが、今度は従者の穴山小助に聞いてみた。小助はしばし黙考した後、こう答えた。

「太閤様は、敢えて南を脆弱にこしらえたのでございましょう。敵を南から攻め込ませ、満を持してそれを迎え撃つ……」

「わしもそう思う。しかし、籠城戦は次善の策。まずは打って出て野戦にて徳川方を叩くのが肝要。もしこれが出来ぬ場合、城に籠もって戦うことになるが、さて、いかにして大軍を迎え撃つか……」

「風聞では相手は二十万とも三十万とも言われておりますからなあ」

大助はその数を聞いて目を丸くする。幸村は城の外壁を眺めながら腕組みをした。

「……ここは祖父、幸隆が武田信玄の配下だった折のように『出丸』を築いて戦うのが良策であろうのう」

「出丸と申しますと本城から張り出して築く曲輪(くるわ)のことですな。金と労力が掛かりますが、かねてより大坂城を仕切っている者どもの承諾を得ること適いましょうや」

「まあ、評定になるであろうが、その時は、わしが皆を説き伏せてみよう」


真田拾誘翅(さなだじゅうゆうし)の最初へ 真田拾誘翅(さなだじゅうゆうし) 40 真田拾誘翅(さなだじゅうゆうし) 42 真田拾誘翅(さなだじゅうゆうし)の最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前