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真田拾誘翅(さなだじゅうゆうし)
【歴史物 官能小説】

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 世に言う方広寺鍾銘事件が起こったのは慶長十九(1614)年七月だった。
 秀頼が新たに鋳造させた方広寺大仏殿の巨鐘。その鍾銘文の一部に「国家安康・君臣豊楽・子孫殷昌」という文言があった。
 これを幕府の儒官である林羅山が次のように読んだ。「国家安康」が家・康の二文字を引き裂いて徳川家の衰退を願う。「君臣豊楽・子孫殷昌」が豊臣を君とし豊臣家の弥栄(いやさか)を祈り子孫の繁栄を楽しむ。
 家康は憤り、豊臣家を糾弾した。慌てた大坂方の家老、片桐且元は弁明に努め、反逆の意思あらずの起請文を秀頼が書くと伝えたが、家康はそれを拒否した。
 怒りのおさまらぬ大御所は「一、秀頼が大坂を離れ江戸へ参勤する」「二、秀頼の母・淀殿を人質として江戸に差し出す」「三、秀頼が大坂城を退去し他国へ移る」の三つの条件を且元に提示し、いずれかを選ぶよう迫った。
 しかし、同時に家康は大坂方の別の要人、淀殿の乳母であった大蔵卿局へ「淀殿に異心がないことは承知しているゆえ安堵なされよ」と伝えていた。そこへ且元が家康からの三条件を伝えたので、淀殿は「家康は害意は抱いておらぬと言っていたぞ。条件提示などおまえの作り事であろう」と激怒。不届き者と目された且元には討伐の兵が差し向けられてしまった。しかし、三つの条件はまさに家康から出されたのだという事が分かると、豊臣家の強硬派は「もう我慢ならぬ。徳川と一戦交えるべし」と声を上げた。
 ほくそ笑んだのは家康。方広寺鍾銘事件は銘文作成を含め全て自分の筋書きであったのに、大坂方はまんまと策にはまってしまったわけである。「戦うというのなら応じよう」と家康は堂々と豊臣家の討伐を宣言し、戦支度を始めたのであった。


「そういう難癖の付け方できたか」

幸村は報告にまかり越した猿飛佐助に苦笑いを見せた。

「佐助よ。いよいよ家康が大坂城に攻め寄せてくるぞ。豊臣恩顧の大名衆はあてにならぬゆえ、淀殿は慌てて全国の牢人に声を掛けるであろう」

「関ヶ原合戦の後、主家を失い封禄のあてのない武士が諸国に溢れておりますからな」

「西軍の大名で、幕府に取り潰された家が三十有余ある。わしにも声が掛かるとして、いかほど集まると思うか」

「ざっと見積もって……十万人は集まるでしょう」

「ふむ。十万か……。では、徳川の軍勢はいかほどになると思うか」

「……おそらく、大坂方の二倍、いや、三倍には膨れあがることでしょう」

「ふむ。わしの目算もそれくらいじゃ」

「戦になるとして勝てましょうや」

「幕府の命(めい)で参陣する大名は多勢なれど義理で戦うものがほとんど。いっぽう、大坂城に集うのは食い詰め者や、この際一旗揚げんと欲する者。そういう輩は必死で戦う。兵力には劣るが気構えでは大坂方のほうが優勢であろう」

「しかし、血気者とて烏合の衆。大坂城にそれを取りまとめる人物がおりましょうか」

「大野治長が政務の主権を握っておるようだが、治長は淀殿の乳母である大蔵卿局の子ゆえ亡き太閤に取り立てられた者。叩き上げではないので性根がすわっているとは言えぬ」

「治長は以前、家康暗殺疑惑事件の首謀者の一人として流罪となり、関ヶ原の役では東軍に参戦して汚名をそそいだゆえ内府より罪を許されております。その後、家康の使者として大坂城に入り、いつの間にか居座ってしまったという経歴の持ち主」

「大蔵卿局は淀殿が茶々と呼ばれていた頃からの関係なので信頼が厚い。その息子ゆえ、治長は大坂城で発言力を増していったのであろうよ」

「総大将、秀頼君を支えるには、治長という柱は、いささか貧相でございますな」

「まあ、わしが添え木の一本となるとして、他にいかような添え木が現れるか……それ次第じゃな。……ところで、おまえの妹、早喜じゃが、千夜とともに甲信に飛んでもらっておる」

「はっ、存じております。散り散りになりし真田の旧家臣……牢人となった者や百姓へ戻った者どもに、いざという時のための心構えを解いて回っておるようで……」

「わしも、いざという時のために槍の穂先を研いでおる。海野六郎には甲冑の錆を落とさせ六文銭の旗を洗わせておる。……このまま九度山にて朽ち果てるやもしれぬと思うたこともあったが、ようやく、男を見せる季節(とき)が巡ってきそうじゃ」

幸村は大坂城の方角に顔を向け、感慨深げに目を細めた。


 その頃、西国に派遣されていたのが穴山小助とその娘、久乃だった。小助は漢方の薬師として山陰を回り、久乃は歩き巫女として山陽を巡っていた。
 二十歳になった久乃は、すっかり女らしい体つきになっていたが、それを白装束に包み、真田の傀儡女であることも包み隠して、竈(かまど)払いや口寄せを行っていた。
 その久乃が岡山から西宮を経て京へ向かおうとしていた時のことである。民家の竈前にて厄払いを行い、施しを受けていた久乃に往来から声を掛けた男がいた。


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