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真田拾誘翅(さなだじゅうゆうし)
【歴史物 官能小説】

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 和歌山城は天正十三年に豊臣秀吉が弟の秀長に命じて築城させた。その城下は和歌山の港を西に有し大いに賑わっていた。
 真田傀儡一座の興行は紀ノ川に面した河原で行われたが、夜には灯籠流しが行われるとあって、この日、川辺の人出は多かった。
 傀儡芸の前に、早喜にはひと仕事あった。陽気な唄で客を呼び込むのだ。
 早喜には幼少より天真爛漫な可愛さがあったが、十三歳になった今は、可愛さに妙齢の美しさが加わり始め、そんな彼女が美声を震わすのだから、まず男どもが集まり始めた。そして女子供が足を運び、爺婆も遅れて人の輪の後ろにやって来て、促されて最前列の客となった。

 まずは宇乃がおたふく面の軽妙な踊りを見せ、面を迦楼羅(かるら)に替えて魔伏せの踊りを披露したところで稀代・伊代姉妹の登場。男でも担げぬほどの大俵を軽々と抱え上げ、二人の間で交互に手玉にとる。かと思えば稀代の上に伊代が乗り、頭に手をついて逆立ちするという軽業を見せた。細い身体ならまだしも、肉付き豊かな肢体でそれを見せるのだから観衆はやんやの喝采だった。
 そして、いよいよ傀儡の芸となる。音夢と睦が手遣い人形を操り、大助が笛を吹き、早喜が唄で舞台に花を添える。二体の人形で男女の色恋沙汰を演じ、第二の出し物では人形を替え怪異と山伏の戦いを見せる。客は大いに沸き、演目は最後の「上田合戦」へと移る。

「時は慶長五年七月。徳川家康が上杉景勝を攻めんとて会津へ兵を進める。これを察知した石田三成、亡き太閤の忘れ形見豊臣秀頼をないがしろにする家康を討つ好機到来とばかり、自分に与(くみ)する諸将に働きかけた。盟友大谷吉継の出馬を仰ぎ、宇喜多秀家の大兵力を味方につけ、西国の雄、毛利輝元を総大将に据えて、乾坤一擲の戦をせんと決起」

由莉の弁は流暢に始まった。同性にちょっかいを出す時の雰囲気とはガラリと変わり、凜とした声音である。舞台では家康とおぼしき人形へ三成に擬した人形が迫る。

「西に変事出来(しゅったい)。上杉討伐などしている場合にあらず。家康即座に取って返し三成の西軍に対し東軍を編成。福島正則はじめ黒田、浅野、細川、池田ら豊臣恩顧なれど三成に敵愾心抱く諸将と、その目付として本多忠勝を先発させ、自らは三万の軍勢で東海道を西進し、息子の秀忠には三万八千の勢力を預け中山道を進ませる」

ここで人形が変わり真田幸村とその兄信幸が袂を分かつ場面。大助が人形替えを行うので、代わりに宇乃が笛を担当。その音(ね)に合わせて早喜が太鼓を叩く。

「徳川四天王の一人、本多忠勝の娘を妻としていた信幸は東軍に付き、大谷吉継の息女を娶っていた幸村は父とともに西軍に付いた。兄弟敵味方となりしも、いずれが破れたとて一方は残る。真田の血筋は絶えぬ。この深慮を互いに汲み取り、二人は敢えて兄弟の縁を切った」

兄、信幸の人形が下手へ下がってゆき、代わって父、昌幸の人形が中央へ進む。舞台袖で登場人物を替える大助が早くも額に汗を滲ませる。

「秀忠率いる中山道隊は関ヶ原へ赴く前に真田討伐の任を負っていた。その陣容を探っていた昌幸は、寄せ手が榊原康政、本多正信、酒井家次ら譜代を含む三万八千と知り、これこそが徳川の本隊と看破する。ここで足止めを喰らわせれば西軍に有利に働くこと必定と腕をまくる。敵の総大将秀忠は二十二歳の若造。しかも初陣で気が逸(はや)っている。譜代の諸将に昔の上田合戦を経験した者はおらず、行き掛けの駄賃程度にしか考えていないはず。そこに昌幸は勝機を見いだし、領内の民に参陣を呼びかけ約三千の手勢で敵を待ち受けた」

由莉がここで間を置く。観客のほとんどは結末を知っているが、それでも舞台に引き込まれる。

「対陣すると昌幸はまず敵に使者を送り、降参し城を明け渡すが準備を要するので数日の猶予を頂きたいとの意向を伝える。我が威に畏れをなしたかと満悦の秀忠は三日待った。が、開城の動きはない。配下を向かわせたが、昌幸は弁明どころか秀忠への悪口雑言をぶつけて使者を送り返した。怒った秀忠は陣取っていた小諸から神川を渡り大軍を推し進めた。流れは浅く渡河は容易であった」

舞台にはまた幸村と兄、信幸。

「徳川軍はまず先勢として真田信幸を、幸村守る砥石の支城へ向かわせた。幸村は兄と戦うのは心苦しかったが打って出る。しかし、ある程度戦ってからわざと踵(きびす)を返し、砥石城へ。そのまま逃げ込むと思いしが、城を見捨てて山の中。そのまま上田の本城へと向かってしまった。残りし信幸は無人の砥石城を占拠。結果だけ知った秀忠は喜び、信幸に砥石城を守るよう命じた。これにより以後の兄弟間の戦いはなくなった」

人形またも替わりて守る昌幸と攻める秀忠となる。鳴り物の笛は高い調子になり太鼓は勇ましく叩かれる。

「三万余の徳川勢が上田城に迫る。秀忠はまず城の周りの刈田を雑兵に命じた。折しも実りの秋であり、食料を取られてはまずいと城兵が出てくる。うまく誘い出したと徳川方が大挙して攻めかかると、城兵は慌てて城へ逃げ込む。寄せ手はそれに乗じて城内へ攻め込もうと殺到。しかしこれが昌幸の謀略だった。城の前には半円形の出丸があり、そこから鉄砲が盛んに撃ちかけられる。出丸を遣り過ごし本城の石垣に取りすがろうとすると、城壁の鉄砲狭間・矢狭間より鉛玉と矢が雨霰と降り注ぐ。出丸と城、双方からの攻撃に遭い徳川の兵は大損害を被った。


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