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忘れ得ぬ夢〜浅葱色の恋物語〜
【女性向け 官能小説】

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半世紀の時を経て-5

 そうそう、貴女にお渡しした診察費の封筒、確かに敦子さんから受け取りました。これについても、僕の配慮の足りなさで貴女にいらぬご心労をお掛けしました。本当に申し訳ありません。その時、彼女から貴女に妊娠の心配がないこともお聞きしました。身勝手な言い分ではありますが、僕は正直ほっとしました。ただ、返していただいたあのお金は、もともと貴女のために使うはずのものでしたから、施設長にお願いして、花の種や苗を買うための足しにしていただくことにしました。そう言えば同封していたコスモスの写真が入っていませんでしたが、貴女の手元に残ったのでしょうか。お持ちだったとしてももう捨てられたでしょうね。あれは切り花にできない、貴女が大好きなコスモスの花を、せめてもと『たんぽぽの花畑』で撮ったものでした。

 僕ももう米寿。その誕生日に、そろそろ終仕度(ついじたく)をしなければ、と思い立ちました。こうして貴女への今の思いを手紙に託したのも唯一そういう理由からです。僕の人生の中での最大の失敗。そして罪。赦してくれるはずのない貴女に、それでも僕の最後の気持ちをお伝えしたかったのです。

 ただ、今の貴女の所在を突き止めるのにはちょっと苦労しました。
 かつて貴女と共に勤めていたあの『緑風園』は、貴女が退職されて半年後に僕も辞めました。未練がましい言い方ですが、貴女との関係を潔く完全に断ち切るためでもありました。貴女が去った後の職場には、その至る所に貴女の姿や笑顔の幻が残照のように残っていて、そのままこの職場で働き続けるにはあまりにも切なく、苦し過ぎたのです。その、僕が職場を去る本当の理由をご存じだったのは敦子さんと木村さんだけでした。
 木村さんは僕が退職を公言してすぐ、5月の休みに僕を訪ねてくれて、貴女に嘘をついて心を揺さぶってしまったことを打ち明けて下さり、丁寧に謝ってこられました。また僕がまだ貴女への思いを引きずっているのではないかと心配されていました。しかしその頃には僕の気持ちはもう随分落ち着いていて、家族の元に帰ることへの心の準備もほぼ整っていましたから、木村さんも安心されていたようです。
 貴女以上にご心配を掛けてしまっていた敦子さんは、退職する日、僕に『ご家族を大切になさってくださいね』と仰って下さいました。
 今のこの気持ちをお手紙でお伝えするにあたり、今年の6月、その敦子さんに連絡を取りました。貴女もご存じの通り、彼女は当時所属していたつばきクラスの男性と結婚し、その後も長くあの施設に勤められ、現在は退職して名古屋市内にお住まいです。彼女はきっと貴女と今も交流があるだろう、と思ったのです。
 ところが、僕が電話をし、シヅ子さんの今のお住まいを教えて欲しい、とお願いすると、敦子さんはにべもなく開口一番『お断りします』と仰いました。無理もないですね。親友の貴女を弄んだ男を、あの人も赦すわけがありません。『神村さんにはシヅ子にとっては主任のままでいて欲しかった』とも仰いました。もっともな言葉です。
 あれから半世紀近くも経つのに、僕は貴女だけでなく、こうしていろんな人を傷つけ続けているのだな、と恥じ入るばかりでした。そして受話器を置いた後、僕は何て無神経なことをお願いしたのだろう、とひどく後悔しました。

 貴女の居場所を特定する糸口になったのは、当時貴女に頻繁に届いていた彼からの手紙。差出人が英語名だったので覚えていました。Simpsonさん。大阪でチョコレート職人の修業をされている、という話をスタッフの木村さんからお聞きしたことを思い出し、息子にネットで調べてもらいました。『Chocolate』や『Simpson』『スイーツ』などをキーワードに検索していたようです。そしてようやく貴女が当時の彼と共に、すずかけ町という場所でチョコレートハウスを経営していらっしゃることを突き止めました。
 ただ、だからといって僕自身が貴女を訪ねるわけにはいきません。貴女と再会するなどという不遜な行為を自分で禁じているからです(もちろん脚も弱っていて、とうていそんな場所まで行けるわけはありませんが)。電話でお話しすることも許されません。そんなことをしてしまったら、また貴女に余計な心配や不快感を生み出してしまいます。そこで僕は息子にお店を訪ねてもらうことにしました。もちろん彼が僕の息子であるなどということはあなたに一切伝えない約束で。
 わざわざ新幹線に乗り、半日がかりで彼はこの夏一人の客として貴女のお店を訪ねてくれました。貴女のことはすぐにわかった、と申しておりました。優しく言葉をかけていただいた、とも。
 息子には、貴女が穏やかに、幸せに暮らしていることを確認するだけでいい、と申しつけていましたが、彼もいざ店を訪ねると、その恋人だったご主人はどんな人なんだろう、子供さんはいるのか、などといろいろ興味を持ってしまったらしくて、つい店の中で不審な言動をとってしまったと後悔しております。申し訳ありません。僕からもお詫びします。それでもその時は約束通り自分の素性を貴女にお伝えすることはなかったので、もし貴女の印象に残っているのであれば、ただのしつこい客だとしか思われなかったことでしょう。とりあえずほっと安心したところです。


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