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プラネタリウム
【ラブコメ 官能小説】

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B-2

6月に入り、ついに日勤業務が一人立ちとなった。
いわゆる、フォロー者がいない上に一人で患者の全てを診るのだ。
「風間!休憩行ける?だいじょぶ?」
お昼の休憩の時間になる度、先輩からそう言われる。
他の同期はとっくに休憩に入っている。
「あ…ハイ……。あと、点滴の更新と血糖と…」
「えっ?まだ血糖測ってないの?…あーもう……。それあたしやるから!早く休憩行きな!」
ペアの進藤がため息をつく。
心が痛む。
この頃から、プリセプターである進藤に他の先輩には感じない感情が湧いていることに陽向は気付いた。

進藤だけには、迷惑をかけたくない。

人なら誰にでもあるだろう。
自分の事を一番近くでサポートしてくれる人間に対しては、自分の良いところやデキるとこを見せたい。
それがプリセプターの評価に繋がる事をなんとなく察していた。
だから、進藤にだけは迷惑をかけたくなかった。
何があろうとも。
この頃から提出しなければならない課題も増えてきた。
なるべく負担をかけまいとほぼ完成の形で持っていったつもりだ。
でも、それは「つもり」でしかなくて、結局自分の知識や言葉が足りずチームリーダーから「ダメ」と返されるのであった。
6月も終わりに近付いてきた頃、日勤で久しぶりに進藤とペアの日があった。
17時半になっても患者さんの側でなんやかんややっている陽向を見て「大丈夫?記録全然終わってないんでしょ?何したら終わるの?」と雑務を手伝い、受け持ちでもない患者に翌日の検査の説明をしてくれたりしていた。
「進藤さん…すみません……」
「え?なに?」
やっとパソコンに触れられる時間になり座る前に陽向がおずおずと進藤にそう言うと、進藤は眠そうな目を向けて答えた。
「なんか…色々とやってもらってしまって…。ホントにすみません…」
「いや、謝らなくていーからさ、記録しな。どれくらいで終わるの?あたしもうすぐ終わるからさ、終わったら声掛けるから、残ってる事教えて」
進藤はそっけなく言い放つと可愛らしいタレ目をパソコンに向けて記録を入力し始めた。
陽向は「ハイ…」とだけ答えると自分の物品が置いてあるパソコンの前に座り、記録に取り掛かった。
…自分の身の回りが異様に汚いと思ったのは数分経ってからだった。
患者さんの翌日の検査の同意書、報告の時にリーダーからもらった医師からの指示が書いてある紙、手袋、処置の時に使ったガーゼ、患者さんに返さなくてはならない用紙……。
その他諸々がパソコンの前に散らばっている。
陽向はため息をつき、ガーゼを捨てがてら同意書を持って患者さんの元へと向かった。
3号室の、意識のない患者さんの部屋に入る。
しんとした空気の中、酸素吸入の音だけが聞こえる。
「原さん……。同意書、引き出しの中にしまっておきますね。あと、明日は朝に採血がありますから……ちょっとだけ痛いけど…頑張って下さいね。すぐ終わりますから…」
原さんは、まだフォローの先輩がついていた頃に受け持っていた患者さんだ。
心不全が悪化し、いつ亡くなってもおかしくない状態になってしまった。
今は家族の意向で、こうして鎮静をかけて意識のない状態で過ごしている。
5月からずっと一緒に過ごしてきた、思い入れのある患者さんだ。
原さんの髪に触れる…。
白髪の、栄養の無くなった髪。
あたしの声は、聞こえてるのかな……。
「風間さん…」
その声ではっと我に返る。
「あ…すみません…」
「何してるの?」
「同意書を渡しに…」
陽向がそう言うと進藤は笑った。
「原さんにただ同意書渡しても分からないでしょ?…ちゃんと伝えたの?」
「え?」
「原さんにちゃんと声かけた?」
「はい…引き出しにしまっておくって伝えました…」
陽向がそう答えると進藤は優しく笑って部屋から出て行った。
その背中を追いかける。
ドアを閉めると進藤は「人ってね」と言って陽向の方を見た。
「一番最後まで残るのは聴力なんだよ」
「……」
「だから、意識なくても毎日ちゃんと声掛けてあげるんだよ。返事なくても、風間さんの事はきっと分かってると思うから」
「……」
「明日、家族にも同意書のこと伝えてね。あと……最後まで原さんに、自分のできることしてあげなね」
進藤のその言葉に陽向はただ「はい」とだけ返事をした。

翌日、夜勤からの申し送りの最中、けたたましいアラームの音がナースステーションに響き渡った。
全員の視線がモニターに移る。
見ると、原さんの心拍数が30の数字を示していた。
みるみるうちに落ちていく。
誰も、何も言わなかった。

9時。
進藤と共に清潔の物品と化粧セットを持って3号室のドアを叩いた。
ロッカーから原さんのお気に入りの青い花柄のパジャマを取り出す。
「あ、それ原さんの好きなやつでしょ」
進藤がにこやかに言う。
「はい」
「よかったですね、原さん。今日はお気に入りのパジャマですよ」
進藤は原さんに話しかけた。
もちろん反応はない。
陽向は例えようのない虚無感に襲われ、言葉一つ発することが出来なかった。
進藤は話し続けた。
何も言わない原さんに。
それが逆に悲しかったし虚しかった。
陽向は原さんの身体を拭きながら気付かれないように涙を流した。
「泣かないでよ、風間さん」
進藤にはなんでもお見通しだ。
「でもっ……」
潤んだ瞳で進藤を捉える。
「あたしだって…寂しいんだから……。でも、そんな顔原さんに見せちゃダメだよ…」
そう言う進藤の目は真っ赤で、ボロボロと涙を零していた。

昼過ぎに出棺し、とうとう原さんとの最期の別れとなった。
「本当にありがとうございました」
泣き腫らした目をした家族に深々とお辞儀をし、車が見えなくなるまで見送る。
初めて体験した人の死。
きっとこの日のことは、一生忘れないだろう。


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