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最中の月はいつ出やる
【歴史物 官能小説】

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第三章-4

清右衛門が四畳半ほどの部屋で肥えた身体を少し小さくして待っていると、ややあって、部屋着に巻帯というくつろいだ格好の月汐が姿を見せた。

「おや。菓子司の御主人どの。玉屋からの大口注文でお忙しいと思うておりんしたが、何用でござりいすか?」

「玉屋の件をもう御存知とは、花魁も耳が早い」

「ふふ。わっちゃあ耳も早いが手も早い。気に染まぬ浅黄裏(田舎侍の客)の横っつらを張ったことは幾度もありいすよ」

「また御冗談を……。手が早い(てきぱきしている)のは菓子作りのほうでございましょうに」

「竹村の御主人を前に口幅ったいようでござりんすが、近頃、煎餅を焼く腕前は上がりいしたよ」

くいっと上を向いてみせる月汐がなんだか可愛く見えた。年季明けまであと二年ほどの二十五歳と聞く。顔を白く塗り、豪奢な衣装を身に纏えば威風堂々たる花魁だが、化粧っ気のない今は、実年齢よりもずいぶん若く感じられた。

「その腕前を見込んで、花魁に菓子のことで相談があって参りました。」

「はて、本業の方がわっちに菓子の相談とは、これは酔狂な……」

「花魁は売れっ子傾城の資質を十分にお持ちだ。そして、それを凌駕する天分を一つお持ちになっておられる」

「え? 男を化かすほかに何の取り柄があるとおっせえす?」

「花魁の、その類い希なる鋭敏な舌です」

「鋭敏?」

「貴女は、わずかな味の違いも見つけることが出来るではありませんか。加えて、菓子作りの熱意もある」

「ふ……。わっちは下手の横好きでありんすよ。それに、自分でこしらえるのは、手製の菓子を登楼した客に土産として持たせてやれば、それが次に繋がるからでありいす。すべて損得勘定の上でござりんすよ」

「謙遜するところがまた奥ゆかしい」

「謙遜など……」

「分かりました、分かりました。……ところで、私の店は長年、巻煎餅が売り物で、吉原(ここ)はおろか江戸府内から買い求める客が毎日あります」

「大繁盛で結構なことでありいすなあ」

「……昔はそれこそ大繁盛でございました。ですが、大福帳に目を通しますと、今は往時に比べれば商いに勢いがございません。それで、てこ入れとして、新しい煎餅をこしらえてみようと思うのです」

「それはよござんすな。どうぞこしらえてくださいまし」

「ところが、思案はするのですが、一向に新しい考えが浮かびません。そこで、月汐花魁であれば、どんな煎餅がいいか御意見を伺ってみようかと……」

「わっちは巻煎餅で十分でござんす。味も元に戻りんしたし」

「いや、何か別な新しい煎餅を……」

そう言われて月汐は形のよい顎に手を当てて考えた。

「花魁であれば、登楼した方々の贈答で様々な菓子を口にしてきたと存じますが、それでもまだ食べたことのないものがあるはずで……」

「食べたことのない菓子……」

「こんなのがあれば……、というような……」

しばらくして、傾城の片方の眉が上がった。

「なにか思い浮かびましたか?」

「ええ。ひとつ、出会うてみたい煎餅がありんすけど……」

「どんな煎餅か、おっしゃってみてください」

「……ただでは嫌でありんす」

「え?」

月汐が、いたずらっぽく見つめてきた。

「清右衛門さまが、わっちを揚げてくれれば、言ってさしあげいすよ」

「なんと。月汐花魁を買えと申しますか」

「すでに他の見世に馴染みの遊妓がおりいすか?」

「いや、それはございませんが……」

「お向かいさんでありながら、いまだわっちを揚げぬのはどうかと思っておりいしたが?」

「はあ……」

「わっちは、竹村の菓子は、ずいぶんと贔屓にしてきましたけんどねえ……」

流し目を送られ、清右衛門は視線を落とした。

(たかが菓子の相談の見返りに登楼とは……。いや、これは月汐ならではの戯れ事であろうが、ここで話をうやむやにすれば野暮と見なされてしまう……)

「いかがなさいんした?」

(惣籬の昼三の花魁だと素上がりというわけにもいかず、芸者も盛大に付き従えて登楼しなければならない。ざっと二、三十両はかかるだろう。それはまだいい。だが、一つの見世の馴染みになってしまえば、他の見世への義理が立たなくなってしまう)

「たかが菓子の相談のために、べらぼうな揚げ代をとられる。道理に合いませぬなあ」清右衛門の心を見透かしたように笑う月汐。「しかも、久喜万字屋に登楼してしまえば他の見世へ顔向けならなくなりいす。吉原一の大見世、玉屋や大黒屋からの注文がぱったりと途絶えることになるかも……」

ずばり云われて月汐と目を合わせることがなかなか出来ない竹村の主だった。その肩へ、ふと、白い手が置かれる。

「いじめるのは終いにいたしんしょう。……清右衛門どの御自身の登楼は勘弁してさしあげんす。その代わり、そちらの懸りで、いつか、どなたかを豪儀に遊ばせてやっておくんなんし。商いの付き合いで、おもてなししたいお方もありんしょう?」

「……それならば、よろしゅうございます。ちょうど恩返ししたき人物もおりますので、近々、月汐花魁を揚げさせてもらいましょう。日取りはいつがよろしいでしょうな?」

「水無月の朔日」

「紋日ですな。……揚げ代がかさみますが吉原土手の富士権現の祭礼もあることですし、ここも賑わうでしょう。結構です。その日に決めましょう」

月汐の口車に乗った形になってしまったが、菓子司の主は苦笑しながら釘を刺した。

「約定を果たした後には、竹村伊勢が勢いを盛り返す煎餅の御意見、しかと賜りますぞ。よろしいですな?」

「武士と花魁に二言はござりいせん」

月汐はトンッと胸を叩いた。清右衛門は着物の合わせ目の膨らみに目が行き、そして、そっと視線を外した。

(続く)


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