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最中の月はいつ出やる
【歴史物 官能小説】

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第三章-3

 毎年、燕が訪れる頃になると廓中の引手茶屋では芸者連中が甘露梅という菓子を作る。小梅の種を取り出し山椒を入れ、紫蘇の葉で包んで砂糖漬けにするものである。

「姉さんは甘露梅作りの手伝いに参じなくていいのでありいすか?」

朝風呂で月汐が使った手拭いを干しながら妹女郎の初音が訊いたが、月汐は昨夜登楼した徳兵衛が巻煎餅の礼だということで送って寄越した箱を開け、はしゃいだ声を上げていた。

「初音、初音、それどころじゃないよ。見てごらん、〈かすてら〉だよ」

「え? かすてらというと、あの南蛮菓子でござりいすか?」

振袖新造の声が二上がりになる。

「姉さん、わっちにもおくんなんし。ねえ、おくんなんし。拝みんすよう」

鶏卵の入った菓子はまだ珍しく、かすてらは当時最も人気のあった高級南蛮菓子であった。初音の声を聞きつけて禿のゆきみとはなみも駆け込んできた。しかし、初音がせしめた薄いかすてら以外は、月汐が箱に仕舞って傍輩の部屋へと持っていってしまったので、禿たちは初音の手にしたものに狙いを定めるしかなかった。

「初音どん、おれにもおくれ、おくれ」

「いやだよ」

「そんなこと言わずにおくれよ」

「てめえっちには勿体ねえ。誰がやるか」

「けち助。屎(ばば)っ子。糞痴呆(くそだわけ)」

「うるせえ、この寝小便たれどもが」

なんともまあ喧しい。この騒動は往来にも聞こえ、筋向かいの竹村伊勢にまで届いていた。


「娘らの喧嘩というものは……」

清右衛門が自分で点てた濃茶を啜りながらつぶやく。

「さながら猫同士の啀(いが)み合いだ。凄まじきものよのう」

懐紙で口元の抹茶を拭うと茶菓子である〈麩の焼〉をつまみあげた。麩の焼とは、かの千利休が考案したとされるもので、小麦粉を薄く広げて焼いたものへ胡桃、山椒味噌、白砂糖、芥子の実を入れて巻き込んだ菓子である。

「うちの巻煎餅は、ひょっとすると先代が麩の焼をもとに考え出したものかもしれない。巻かれた形の煎餅など昔はどこにもなく、売り出したとたんに吉原名物となったそうだが……、今はその人気も下火だ。いや、下火というのはあんまり。普通の売れ行きとなっている」

清右衛門は二重顎を三重にして考え込み、麩の焼を囓っては顎の蛇腹を伸び縮みさせていた。そこへ番頭が姿を見せ、玉屋の突出し(新造が初めて客を取り一本立ちするお披露目)に際して餅菓子の大口の注文が舞い込んだことを告げた。

「蒸籠十八個というか。そいつは強気(ごうぎ)だのう」

清右衛門がことさらに驚いてみせると、

「玉屋の売れっ子昼三、濃紫付きの振袖新造が留袖新造になる祝いでございます。周りに配る餅の数も半端ではないでしょう」

「十八の蒸籠のうち、菓子が入ったのはいくつだえ?」

「六つでございますが……」

「あとの十二は空の蒸籠か。吉原という所は意気張が真骨頂だが、見栄の張り方も半端ではないのう」

悪所で儲けさせてもらいながらこんな皮肉を言う清右衛門に、

『空の蒸籠も銭のうちじゃないか。まったく何を考えているのやら』

金造は心の中で舌打ちをした。そんな番頭に、

「蒸籠の手配はお前にまかせる。あと、一番奥の竈(かまど)にひびが入ってきたから修繕を頼んでおくれ。……あたしはちょいとお向かいに行ってくるよ」

そう言い残して、清右衛門は昼見世に向けて客足のちらほら見え始めた辻を横切り、久喜万字屋の暖簾を潜った。

「御亭主か御内儀はおられますかな?」

見世先で若い者に問うと、亭主は留守だが内儀は居るというので取り次いでもらった。

「まあまあ、お向かいの清右衛門どの、いつもお世話になっております」

磨き上げられた廊下に膝を付く内儀に、「お世話になっているのは手前どものほうでございます」と辞令を述べ、清右衛門はさっそく本題に入った。

「ところで、月汐花魁には本日、昼見世の客がつくことになっておりますかな?」

「いえ。今日は手空きでござります。……清右衛門どのが買いたいのでござんすか?」

「いやいや、そういうことではございません」

慌てて手を振る竹村の主に、内儀は怪訝な視線を投げかけた。

「では、いったい、どのような用向きで?」

「聞くところによりますと、月汐花魁は最近、明るいうちは菓子作りをしていることが多いとか」

「……ええ、困ったことに、そうなんでござりますよ。月汐目当ての昼見世の客がいない日は台所に入り浸りで、魚屋が鯛を洗っている隣でうどん粉をこねたり焼いたりしております。昼は馴染み客への無心の文を書く女郎(こ)が多い中、酔狂なことで……」

「いやいや、それでいて贔屓の客筋が絶えないのは大したものだ。……で、その月汐花魁に折り入って相談がありましてな」

「相談……」

清右衛門は竹村伊勢の商いが今ひとつ伸び悩んでいること、何か新しい菓子をこしらえてみたいが、その示唆を月汐ならばしてくれるのではないか、ということを内儀に話した。

「あの遊戯(こ)が役に立つとは思えませんが、清右衛門どのの、たって願いでしたら、ちょんの間、月汐をお貸しいたしましょう。……揚げ代は、そうですなあ、昼ですから二分、というところでいかがです?」

「揚げ代?」

清右衛門が戸惑うと、内儀は笑い、顔の前で手を泳がせた。

「冗談でございますよ。……今、呼びにやりますので、内証脇の小部屋へお通りくださいまし」


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