復讐やめますか? それとも人間やめますか?-4
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青年が混乱渦巻く王都を逃れ、郊外にある一軒の館に到達した時は、深夜になっていた。
ここはまがりなりにも貴族の屋敷だが、それほど豪華ではない。外見も内装も質素で、絵画など装飾らしいものも殆どなかった。
六十過ぎの柔和そうな当主は、青年を書斎に招き入れると、椅子を勧めた。
「上手く行ったそうだね。疲れただろう」
当主はグラスに弱い酒を注ぎ、青年と自分の前に置く。
「……レムナは?」
青年は広場での大騒ぎから今まで、一度の休息もとらず、水の一滴も飲んでいない。
死にそうなほど喉が渇いていたが、グラスをとる気にもなれず、開口一番にハーピー少女の安否を尋ねた。
予定ではもっと早くにここへ着いているはずだったが、予想以上に追っ手が多く、まくのに時間がかかってしまったのだ。
レムナを信頼しているが、こうやって別行動をとるときは、いつも安否を確かめるまで落ち着かない。
「君が遅いから探しに行くと大騒ぎだったが、なんとか説得した。今は部屋で休んでいるよ」
当主の苦笑に、青年は頭を抱えたくなった。どんな大騒ぎをしたか、考えただけで頭痛がしてくる。
それでも胸中の不穏はようやく静まり、一息に酒を飲み干した。
「それはさぞ、迷惑をかけただろう。まったく、アイツは……」
「いやいや。うちの娘の小さな頃に比べれば、あのくらい可愛いものだ」
老当主は柔らかく笑い、それからふと表情をひきしめた。
「姫も、先ほど目を覚まされたが、大人しく部屋に篭もっていただいている。詳しいことは全て、隣国の軍が到達してからお話しようと思う」
確認するような当主の視線に、青年は片手を振った。
「この先は任せます。小難しい政治のやり取りは、俺には不向きだ」
明日になれば、隣国の王が兵を率いて攻め込んでくる。姫は引き渡され、国の併呑を有利に進める取引材料となるだろう。
青年は、とりたてて政治分野に興味や野心はなかった。
ただ、姉を殺した奴らに、復讐をしたかっただけだ。
この国の貧しい家庭に生まれ、ものごころついた時にはすでに、両親は他界していた。
十歳年上の姉が、必死に弟を育ててくれた。
とりたてて美人ではなかったけれど、とても優しい姉だった。
……十五歳になった弟をクジ引きから逃れさせるために、密かに身体を売り、救済札を買ってくれたほど。
自分はもう九回もクジを引いて大丈夫だったのだからと、弟に札を押し付けて、姉は最後のクジを引きに出かけ……そして黒い森に連れて行かれた。
瞼の裏に今も焼きつく姉の記憶を糧に、いつか復讐してやると誓った。
姉を殺した吸血鬼たちと、それすらも利用して私腹を肥やしていた王家と貴族たちに。
一国を潰すのは容易ではなく、隣国との渡りをつけることができたのは、この当主のおかげだった。
かつては国内でも有数の大貴族たった彼は、救済札の不公平性と税金の軽減を訴えたために王の不況をかい、横領の濡れ衣を着せられたあげくに、領地と財産の殆どを没収されていたのだ。
しかし、国が潰れたところで、当主の未来は決して明るくはない。
「……この先、どれだけ穏便に隣国との片がつこうと、貴方は明日から、売国奴の汚名を着ることになる」
青年の呟いた言葉に、老当主は穏やかに頷いた。
「とうに汚された家名だよ。今さら、どうなるものでもない。それに、自分が正しいと思うことをして被った泥なら、いっそ清清しい」
青年は深く息を吐き、黙って頭を垂れた。
貴族はどれも同じダニだと思っていたが、それが間違いと教えてくれたのは、目の前の老当主だった。言葉での弁解ではなく、態度で教えてくれた。