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寒椿
【その他 官能小説】

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寒椿-5

(4)

「しばらくです」
改札を出て声をかけられたのは私の方である。
「どうも……」
笑いかけつつ記憶を辿った。
 久しぶりに会った玲子はコロコロとよく肥っていて、たぶんどこかですれ違っても気づくことはないほどの変わりようであった。わずかに目と、やや反っ歯の口辺に彼女らしい記憶が重なった。
「変わらないわね。すぐわかった」
「もう年ですよ」
「それはお互い。ごめんなさいね。お時間いただいて」

 日暮里から千駄木へ向う途中に寺はあるということだった。
 私と歩いていると時折小走りになって息遣いが聴こえた。私は何度か歩みを遅くして歩調を合わせた。

「もう、歩くの大変よ。肥っちゃって」
玲子は立ち止って笑い、私もつられて笑った。
「僕だってだいぶ肥りましたよ」
「あなたはいいわ。背が高いもの」
玲子は深呼吸して、また歩き出した。

 息苦しいにもかかわらず、玲子は昔の話を喋り続けた。出会った時のアルバイトの職場、その頃の仲間たちとのエピソード。……
 私はほとんど聞き役だった。

「エニワさんって、どういう字を書くんですか?」
「恵庭市ってあるでしょ?北海道の。恵む、庭。電話だとハニワさんですか、なんて聞き間違えられちゃう」
玲子はそれからも寺に着くまで、なおも思い出を次々と投げかけてきた。仏花を買い求める時だけ、私は解放された。


 寺町通りの一画に思いのほか大きな寺院があった。
「大きいね」
「古いお寺らしいわ」
玲子は何度か訪れているのだろう、迷うことなく手桶のある処へ向って行った。墓参の人達がまばらに見られた。小春日和の柔らかな日差しが降り注いでいた。

 墓の前に立ち、玲子は膝を落として合掌した。周りのゴミを取り除き、水を替え、花を活けると私に線香を渡した。
 墓石に刻まれた知恵子の名と戒名は、どこか別世界のもののように映ったが、享年五十歳という事実が慌ただしく迫ってきて、私は急に胸苦しさを感じた。若い頃の思い出が映像のようになって幾枚もの写真に分断された。そしてなぜか崖の上からひらひらと海の中へ舞い落ちていく光景が想像された。

 私たちは線香の煙の漂う中、しばらく墓石を見つめていた。風もなく穏やかな日であった。空を仰ぎ見る。寺の屋根瓦に陽が反射して私の目を射た。

「この間、知恵の家に行ってきたの」
玲子がぽつんと言った。その目は墓を見つめたままである。
「知恵の机にね、鳴子のコケシが置いてあるの。他の人形は戸棚にあるのに、そのコケシだけが机にあるの。あの頃からずっと……」
玲子はハンカチで顔を被った。終りの方は言葉になっていなかった。
「あなたが来てくれて、知恵、喜んでいるわ……」

 私はうなだれて目を閉じた。
(玲子もコケシのことを知っていた……)
目頭が熱くなり、私は隠すように背を向けると煙草に火をつけた。指がかすかに震えた。近くの小学校だろうか、チャイムの音が聴こえてきた。

(知恵子……)
自分が生きてきた道が砂塵に被われて跡形もなくなっていく感覚に見舞われた。
 これまで胸を張れるようなことを何一つしてこなかった私を、それほどまでに想い続けてくれていたのだとしたら、私は彼女の人生を台無しにしてしまったことになるのではないか。知恵子の存在をすっかり思い出の中に封じ込め、気が向いた時に取り出して弄んでいた長い間、彼女が忘れずにいてくれたのだとしたら……。
 ああ、知恵子は何も言わずに死んでいった。私は突き上げてくる激しい愛おしさに動揺を覚えていた。

「それから……黙っていようと思ったんだけど……」
落ち着きを取り戻した玲子が腰を落とした。花の位置具合を手直しして、
「お義母さんも知らなかったことなんだけど……」
玲子は立ち上がって手桶を持ってゆっくりと歩き出した。私は手桶を引き取り、途切れた話の続きを待った。

「いやな思いをさせたらごめんなさいね」
改まって、
「彼女ね……一人で水子供養していたらしいの。引き出しの奥に、供養のお札っていうのかしら、それがあったんですって」
私は突然走り出したい衝動にかられた。吐き気に似た感覚が胃の辺りに鈍く蠢いた。

 玲子が立ち止まって振り返った。
「この木、知ってます?」
「椿?」
「寒椿」
「椿じゃないんだ」
「同じ仲間でしょうけど、山茶花に近い種類みたい。冬に咲くのよ」
「そう……」
赤い花をつけた木が立ち並び、生垣のようになっている。
「椿って、散る時、花ごとぽとんって落ちるでしょ。これは花びらが散るの」
説明されてもよくわからない。

 ふたたびゆっくり歩き始めた。
「寒椿の花言葉……謙譲……愛嬌ですって。知恵みたいじゃない?」
 歩き出した玲子が顔だけ振り向いた。
「どこかでお昼でも食べましょうか」
私は答えず、ただ玲子の目を見つめていた。


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