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山だし
【その他 官能小説】

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山だし-3

 店は三日後に開店したが、サトエが戻ってきたのはそれからさらに一週間後のことである。
 彼女もマスターも休んだ理由を客に言わなかった。少なくとも、私の知る限りにおいては……。
「たまには息抜きに生まれ故郷にね」
「幼馴染と久しぶりに飲んだよ。いいもんだね」
常連に訊かれると二人とも努めて明るく応えていた。客にいらぬ心配をかけたくなかったのか、単に煩わしかっただけなのか、いずれにしても、このことに関して、私はサトエと共有の『秘密』を持った気がして心の中でこそばゆい思いを感じていた。

 仲間といる時、サトエは相変わらずの応対だったが、私にだけわかるように、ほんの一瞬、合図のように目を細めて見せた。お礼とも挨拶ともとれる、彼女には精一杯の親愛の表現だったのだと思う。

 そのうち私は時間を作って一人で『L』を訪れるようになった。主に授業が終わった夕方で、学生はほとんど見かけない時間帯である。
 初めて一人で店の扉を開けた時、サトエはきょとんとした顔を見せたあと、後ろに誰もいないのがわかると駅で見せた満面の笑顔に変わった。
「こんな時間に初めてね」
「うん。授業が終わって、本屋に寄ってたから」
会いに来たとはいえず、私は彼女の顔を見ないで答えた。
「お友達は?」
「もう、帰ったんじゃないかな……」
客はカウンターに初老の男がいるだけである。
「空いてるでしょ。好きなとこ座って」
心なしかサトエの言葉は親しげで、動きもいそいそと活発に感じられた。

 何回か通ううち、他に客がいないこともあって、そんな時、彼女はマスターに
「ちょっと休憩」
ぺろっと舌を出して私のテーブルにきて話をするようになった。
話はとりとめのないものである。折々の三面記事のことだったり、芸能人のスキャンダルだったり、食べ物のあれこれなど……。
 私はとても楽しかった。ふだんは不機嫌にさえ見えるサトエが私の前では別人のように屈託のない笑顔を見せる。意外に饒舌で、時には冗談も言う。そのことが嬉しかった。
 彼女の肉体には当然関心もあったし、服に包まれた女体を何度想像したかしれない。だが、その前に、彼女と向き合うこと、大人の女性と二人で語らうこと自体が私にとってときめきであった。それまで経験がなかったから……。

 ある日、つい話し込んで閉店時間になってしまった。
「この辺は会社関係が多いから七時っていうとほとんどお客は来ないよ」
マスターも少し前から洗い物を済ませて、することもなく煙草をふかしていた。

 私が立ち上がると、サトエはエプロンを外しながら、
「里見くん、一緒に帰るか?」
私は笑って頷きながら、急に足元が心もとなくなったのを感じていた。
 店の外で待っているとサトエはスーツに着替えてきた。
「いつもそんなにきちんとしているの?」
「だって、電車に乗るとOLの人がいっぱいでしょ。あんまりだらしがないとみっともないから」
「Gパンはいてる子もいるよ」
「あたし、学生じゃないし、若くもないし……」

 なだらかな坂を並んで話しながら、ときどき触れる肩がそこでも会話をしているようで心地よかった。雑踏の中、たくさんの人の流れの中で、私とサトエは紛れもなく『一つの二人』として歩いている実感が嬉しかった。
 秋葉原で私が降りる。彼女は扉のそばに立って女子高生みたいに胸元で小さく手を振った。

 数日後、やはり夕方店に行くと、サトエは「いらっしゃいませ」とは言わなかった。
「疲れたでしょう?」
そして、時計に目をやった。
(私と帰るつもりでいる……)
浮き浮きした気持ちが胸に満ちた。手ごたえのある彼女との繋がりを感じたからである。

 六時半になり、
「サトエ、今日はもう上がっていいよ」
マスターが声をかけてきた。サトエは照れたように笑って、
「じゃあ、また一緒に帰ろうか。外で待ってて」
すでにそれが習慣のように言うのだった。
 どこかに立ち寄るでもない。駅まで話しながら歩き、次の駅で彼女を見送る。それだけだった。

 それから何度目の時だったか、定休日が日曜日だと知った私は、どこかへ行かないかと誘った。会話の合間にさりげなく口にしたものだが、内心は考えた末の思い切った言葉であった。驚いた表情を見せたサトエは、すぐに、
「うん……」と応えたものの、視線を落として複雑な顔を見せた。
「でも、勉強はいいの?」
「日曜まで勉強はしないよ」
「そう……」
サトエはなおも考える様子で、
「里見くん。こんなオバサンと一緒で恥ずかしくないの?」
彼女がためらっている真意はそんなところにあった。
「何でそんなこと言うの。サトエさんはオバサンじゃないよ。若いし、やさしいし、素敵だ」
サトエは俯き加減のまま黙っていた。

 話は途切れて私たちは人波の流れに運ばれていった。
ホームで電車を待っているとサトエが私の腕を掴んで人のいない階段の下へ引っ張っていった。何事かと思ったら、
「「芋煮、食べたことある?」
「イモニ?」
「そう、芋煮」
間もなく山形と芋煮が結びついた。ない、と答え、
「けんちん汁みたいなやつ」
「似てるけど、こくがあって甘味があって美味しいんだよ」
何で急にそんな話が……。
「食べる?今夜作ろうと思って材料買ってあるの」
私は頷きながら、ぎこちない笑いを浮かべていたと思う。心に微かなざわめきが起こったからである。サトエが小岩のアパートに住んでいるのは聞いていた。食べるということはそこへ行くことである。
(女の部屋……)
 彼女の真意はわからない。気を許した好意にも微妙な意味合いがある。考えがあったのか、気を遣ってくれたのか、その時の私に彼女の想いを斟酌することは難しかった。ただ、一人暮らしのサトエのアパートを訪れるということだけが弾んだ心に灯となっていた。


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