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『ITUKI』
【純愛 恋愛小説】

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『ITUKI』-9

家に戻ると、いつものようにいつきが腹を空かして待っていた。
「おかえり」
玄関をあがるといつきはすでにテーブルの一角に陣取っている。そこは僕の座る椅子だが、あえて何も言わなかった。
机のうえには僕が今朝作っておいたオムレツが、ラップをかけられたままの状態で冷めていた。
「食べなかったのか・・・?」
いつきが頷く。
「一緒に食べようと思って」
彼女はそう言って立ち上がると、再びレンジで暖めなおしたオムレツをテーブルの真ん中に置いた。
いつきの何気ない優しさが、今は素直に嬉しかった。僕たちはそいつを二人で分け合って食べた。
一人分しか作らなかったので量は少なかったが、体の底から満たされたような気分になった。
誰かとする食事がこんなに美味しいと感じたのは、初めてだった。
「よかった」
顔を上げると、いつきがその大きな瞳で僕を見ていた。
「浮かない顔してたから、心配したのよ。
でも、さっきよりは元気になったみたい」
そう言って、いつきは胸を撫で下ろすような仕草をした。
そんなに僕はひどい顔をしていたのだろうか。
思わず、コップに映った自分の姿を見つめた。
「ねえ、何かあったの?」いつきがそっと僕を見つめた。
「言いたくないなら、別にいいけど・・・」
僕は黙ったまま首を振った。沈み込んだこの気持ちも、洗いざらい吐いてしまえば楽になれるのかもしれない。誰かにこの気持ちを話してしまうのも悪くなかった。
「今日、病院に行ってきた」
「病院?誰か、怪我でもしたの」
驚いたようにいつきが言った。
僕は、慎重に、言葉を選んだ。
「大切な人が、そこにいる。状況はよく分からないけどもしかしたら・・・」
と言いかけて僕は口を紡んだ。その一言を声に出してしまうのが怖かったからだ。
だが、いつきはこちらの心情を読むようにいきなり核心をついてきた。
「・・・死ぬの、その人?」
全身から血の気が引いていくのを感じた。
僕はもう一度首を横に振った。彼女の発したその現実から逃れるように。
「死ぬかもしれないんでしょ。明日か、明後日か、今すぐに」
「やめろ、言うな」
「仕方ないわよ。人が死んで、いなくなってしまうのは当たり前のことだもの」はっきりと、いつきが言った。
「私もそうよ。貴方も同じだわ。それが、早いか遅いかの違いよ」
僕は唇を噛んで、俯いた。今まで正面から受けとめることさえ避けてきた事実が、重く重くのしかかった。「でも・・・きっと彼女は幸せね」
いつきはフッと笑うと、細い腕をのばして僕の掌に置いた。昔見た、二条さんの笑顔にそっくりだった。
「何でだ?」
「自分の事をこれだけ想ってくれる人がいる。
宏和がその人を思い続けてれば、彼女は死なないわ。ずっと、貴方の奥で生き続けていくのよ」
いつきの手に力がこもった。微かに熱が伝わってきて、それが彼女の温もりなのだと気付いた。
「だから、私は死んでも独りになるの」
「いつき?」
「私には悲しんでくれる誰かもいないから、少し彼女が羨ましいな・・・」
そう言って寂しく笑ったいつきを見て、僕は彼女にひどく悪いことをした気分になった。
いつきは記憶がない。
いつきはなにもない。
普段、僕は彼女が自身のことについてあまり関心がないように見受けていた。
失くした記憶も全く探す素振りを見せず、ただただ毎日を意味もなく過ごしているのだとばかり思っていた。
そうではなかった。
いつきは独りでもがいていた。探す気がない訳ではなく、どうしようもなかったのかもしれない。
僕は小さいいつきの顔を見た。かけてやれる言葉が見つからなかった。
今、いつきが死んだら僕はどれだけ悲しんでやれるだろうか。


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