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美しき姦婦たち
【その他 官能小説】

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聖なる淫水(2)-1

 (6)

翌日の夕方、坂崎は仕事を途中で切り上げて退社した。本来ならその日に片づけておくべきものであったが、どうにも落ち着かず集中できなかった。
(彩香が待っている……)
気になる、というのではなく、浮き立つ想いがゴムまりのように弾んでいるのである。

 今朝目覚めてみると彩香はすでに起きていて、キッチンで物音がしていた。まだ六時前である。布団は畳んで部屋の隅に寄せてあった。
 勢いよく勃ち上がったペニスがパジャマを突き上げている。朝勃ちはここしばらくなかったことだ。坂崎は煙草を喫いながらおさまるのを待った。

「伯父さん、おはよう」
「へえ、作ってくれたの」
テーブルには可愛い朝食が並んでいた。目玉焼きにトマトのスライスが添えられ、マグカップにはコーンスープが湯気を立てている。
「コーンスープなんてあったっけ」
「そこのボックスにあった」
「だいぶ前のだろう」
「平気よ。こういうのは」
 何のことはないメニューなのに、彩香が作ったと思うと特別なもののように見える。
「感心だな。うちでもやるの?」
「ときどきね。お姉ちゃんは全然やらない」
久しくなかった会話のある朝の食卓。陽子と毎日共にしていたはずなのに、そのささやかな幸福を感じたことがあっただろうか。何につけても日常繰り返されることはつい見過ごしてしまうものだ。そこに、小さいけれど大切なものがひそんでいることもある。
(こんな温かな雰囲気……)
きっとたくさんあっただろうに……。

 彩香はすでにジーパンをはいていた。
「その方がいいし、似合うよ」
「そう?」
彩香はにっこり笑ってモデルみたいに一回りまわって腰を振ってみせた。

 その日一日、抑えようのない楽しい心であった。
朝の爽やかな彩香のイメージを胸に一日を過ごし、駅から急ぎ足で歩き出し、駅の反対側にある評判の洋菓子店を思い出した。テレビでも取り上げられた店で、ロールケーキが人気らしいが坂崎は行ったことがない。
(彩香に買っていってやろう)
きっと喜ぶ。想像するだけで胸が弾む。

「ただいま」
ドアを開けて言ってから、はっとした。
(一人ではない生活がここにある……)
そんな錯覚が起ったのである。彩香がいても『生活』をしているのではない。わかっていながら思わず口に出てしまった帰宅の挨拶。胸底に沈んで見えなかった平穏な日常を渇望する想い、人恋しさが可愛い訪問者によって呆気なく顔を覗かせてしまった。肩肘張って強がる気持ちはまったくなかった。
(このひととき、この子に甘えよう……)
坂崎はもう一度、
「ただいま」と声をかけた。
「おかえりなさい」
元気な声が返ってきた。

 テーブルには寿司桶が二つ並べられ、コップが伏せて置かれてあった。坂崎の席にだけイカの塩辛が入った小皿がある。酒のツマミということだ。
「わざわざ買ってきてくれたのか」
「うん。スーパーに寄ったの」
他に大皿に盛られたサラダもある。プチトマトやカイワレなど色とりどりの野菜がきれいに配色されてある。
「うれしいな。お金足りたか?」
「余ったよ。それお釣り」
電話の脇にレシートと金がきちんと置いてある。
「いいよ。お小遣い」
「昨日もらったのがあるから。明日の買い物する」

 彩香の関心はロールケーキに移っていた。
「ここのパティシエ、超有名なのよ」
「そうらしいな」
 坂崎は手を洗うとそのまま食卓についた。この季節、いつもならまっ先にシャワーを浴びて冷えたビールを飲むのが習慣なのだが、この日は後にすることにした。
(ひょっとしたら、昨日のように……)
ときめく期待があったのだ。もしそうなったら、食後の方がゆっくりできる。……

「おいしい」
彩香は寿司を食べながら今日あったことを矢継ぎ早に喋った。六本木と赤坂に行って、お笑い芸人を見かけたと興奮気味に語った。それから、
「サスペンスによく出てくる女優。名前知らないけど」
坂崎は相槌を打つだけだ。
「けっこうふつうに歩いてるんだね。驚いちゃった」
別にファンでもないのだが生で見たことが感激なのだった。そこだけで半日ぶらぶらしていたという。
「じゃ、ほかには行かなかったんだ」
「うん、その辺だけ」
「明日はどこに行くの?」
土曜日で彼は休みだ。また夜はファミレスでも行こうかと考えていた。彩香は月曜日の朝、帰ることになっている。あと二日間、彼女と過す時間をいとおしむ気持ちだった。

「明日は行かないの」
「え?」
弾けたように白い空間が広がった。
「たかちゃん、親戚の人と車でどこか行くんだって。あたしも誘われたけど、断った」
「そうか。行けばいいのに」
坂崎は嬉しさを押し隠して言った。
「知らない人だから気を遣うしね。伯父さんといたほうがいいもん。明後日またどっか行く」
「それじゃ、伯父さんとでかけるか?」
「そうだなあ……」
「どこでも好きなところ連れてってあげるよ」
「ほんと?」
「うん」
本心からではない。家で彩香と二人きりで彼女を眺めていたほうがいい。それだけで十分だ。
 彩香は何も答えず、口元をゆるめて首をかしげた。 


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