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『詠子の恋』
【スポーツ 官能小説】

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『詠子の恋』-21


「“のんべ庵”って言うんだね」
「うん。ここの蕎麦が絶品でさ」
 練習が終わった吉川と、城央駅前で待ち合わせて、二人は夜の街を歩いていた。そのまま、とある路地裏の静かな場所にある、小さな看板を掲げた“のんべ庵”という小料理店に、詠子は連れられてきた。
「いらっしゃい、吉川さん」
 陽気だが品のある声をかけてきた店主が、顔を見るなり吉川の名を呼んだということは、彼はこの店の常連なのだろう。
「おや、今日は綺麗な人を連れてますね。吉川さんの、いい人ですか?」
「えっと、そ、そうです」
「!」
 吉川は、店主の言葉に照れながらも肯定をした。詠子の“告白”を受けて、はっきりとした返事をもらったわけではなかったが、彼の中ではもう、自分はそういう存在になっているらしい。
 詠子は、頬が熱くなり、緩んでくるのを止められなかった。
「おやおや、初々しいですねぇ。こいつはどうも、ご馳走さんです」
 それはしっかりと、店主に見られてしまっていた。
「盛り蕎麦二丁と、お銚子一本、冷でつけてくれますか?」
「はいよっ。いつものやつですね」
 威勢のいい声を残して、小鉢に入った“先付け”をカウンターに置いてから、店主は注文の用意に取り掛かる。
「キミ、こんなふうにお酒飲むんだ」
「あんまり強くないから、いつも一本だけだけどね」
 店主の“こころづけ”として、キスとナスの天ぷらがついた、ざるに盛られた蕎麦を前にして、お互いのお猪口にお銚子を傾けあう、吉川と詠子であった。
「ふふ。“池谷正三郎”の小説に出てくる、ワンシーンみたい」
「うん。多分、須野原さんなら、そう言ってくれると思ったよ」
 本棚に並んでいる詠子の蔵書に、剣戟小説の大家として名を馳せる“池谷正三郎”の著名なシリーズがあった事を、吉川は見ていたのだろう。
「そういうところは、目端がいいのに」
「うっ……」
 詠子が言外に潜ませた“皮肉”が、吉川を怯ませる。
「それについては、本当に、なんと言ったらいいか……」
「ふふ。意地悪、だったかな?」
 そう言って詠子は、両手で持ったお猪口に唇をつけた。
 吉川同様、あまりお酒に強くない詠子なので、お猪口一杯分だけ口に含むと、後のお銚子は控えて、吉川の猪口が空くたびに、それを注ぐ方に回った。
「実を言うと、その、気づいてなかったわけじゃなくて、でも」
「えっ?」
「須野原さんみたいに、綺麗な人が、まさかって思っててさ…」
「………」
「だから、その、好きって言ってもらえて、すごく嬉しかった」
「!」
 不意打ち、とはこのことであろうか。吉川の真摯な言葉に射抜かれて、詠子は胸が苦しくなり、風味のある蕎麦の味を、すっかり忘れてしまった。
 “のんべ庵”で、店主を苦笑いさせるほどに初々しいやり取りを繰り返した詠子と吉川は、店を後にすると、今度は詠子が行きつけにしている喫茶店に足を運び、時間を共にした。
 その雰囲気は紛れもなく“彼氏彼女”のものであり、手を繋いだり、腕を組んだりしていないあたりは、まだまだ初心な様子を見せているが、心の繋がりが二人の間にしっかりと、結びついていることがよくわかった。
 吉川の、終電の時間が近づいたので、名残惜しいが今日はこれでお開きとした。詠子はもう、いろいろな想いで胸がいっぱいだったので、十分だった。
「あの、須野原さん」
 場所的には遠回りになるのに、アパートまで一緒に来てくれた吉川と、“じゃあ、また”と言い合って、手を振り合ったすぐ直後、彼に呼び止められた。
「どうしたの?」
「えっと、その、きちんと、言うよ」
「?」
「ぼ、僕も、須野原さんのこと、好きです」
「!」
 そういえば、自分は吉川に対して、やや遠まわしではあるが“好き”と伝えたが、彼にとっての“いい人”であることは肯定されつつも、肝心な“好き”という言葉は貰っていなかった。
「タイミングが、ちょっとずれてるのは、キミらしいよね」
 それでも詠子の頬は紅くなり、そして、これ以上はないというくらい緩みきった。
 男子に“好き”といわれたのは、中学生の頃に何度かあって、全てそれは断ってきたが、自分が想いを寄せた相手にそう言われると、金メッキと純金のようにその“価値”がまるで違うと、詠子は思った。
「わたしも、キミのこと、好きだよ」
 だから、素直な気持ちが、言葉になった。
「………」
「………」
 心でも、言葉でも、想いを確かめ合った二人だ。
「好き、だよ……吉川クン……」
「……うん。僕も、好きだ……」
 だから、その身体がどちらからともなく寄り合って、少しだけ見つめあい、ぎこちない動きを経ながら互いの唇が重なりあったのは、必然のことであった…。


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