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『詠子の恋』
【スポーツ 官能小説】

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『詠子の恋』-19


 木曜日…。この日は、例の、“ナイター中継を見ながら、部屋で晩御飯を食べる”という、詠子の中での最大のアプローチが行われた日であった。
「………」
 そして、吉川が帰った後の部屋は、あまりにも静かだった。
 詠子は、ナイター中継が終わるなり、そのまま何事もないかのように家路についてしまった吉川の後姿を思い出して、視界がぼやけてくるのを止められなかった。
(やっぱり、吉川クン、わたしのことなんて、何とも思ってない)
 赤いフレームの眼鏡を外し、目元を少し擦る。はっきりとした意思表示をしていないのもいけないのだろうが、ここまでアプローチをかけておいて反応がないのだとしたら、吉川が異性として自分を見ていない可能性が高いと思ったほうがいいだろうと、詠子は考えてしまった。
(わたしなんかじゃ、ダメなんだ……)
 浮かれていた今までの自分が、なんだか惨めに思えてしまう。初めて誰かを好きになって、その人に振り向いてもらおうと思っていろいろとやってみたが、結局は成果を挙げられなかった。
 手にした赤いフレームの眼鏡が、何だか煩わしいものに見えた、浮かれていた自分を表しているようで、目元にそれを戻すことが、詠子にはできなかった。
 詠子は、赤いフレームの眼鏡をケースに仕舞うと、その代わりに、別のケースから取り出した眼鏡を、無表情に身に着けた。そのフレームは、黒い色をしていた。
 金、土、日と間を挟み、ゼミの開講される月曜日。
「!」
 教室に入るなり、詠子がかけている眼鏡のフレームが黒くなっていることに気がついて、さすがに吉川は、少しばかり焦った様子を見せていた。“黒と白のときは、気をつけたほうがいいよ”という、詠子の言葉を覚えていたからだ。
「えっと、おはよう、須野原さん」
「おはよう」
 表情もそれほどなく、素っ気ない返事になっていた。吉川は、いつもと違う雰囲気の詠子をそれと気づいていたのだろうが、その内面までは推し量れなかったようで、普段の様子のまま、課題を机の上に広げていく。
「………」
 フレームが変わったことに気づきながら、何も変わらない吉川の様子が、詠子には恨めしかった。
「今日は絶好調だな、須野原」
 皮肉にも、講義に集中できたようで、塚原からめったにないお褒めの言葉を頂くことになった詠子だが、それについては少しも嬉しくなかった。
「吉川クン、これ」
 詠子は、弁当箱の入った包みを、無表情で吉川に渡す。いつもだったら、食堂で渡すのだが、今日はそうはならなかった。
「ごめん。わたし、今日、用事があるの」
「そうなんだ。あ、弁当箱どうしようか?」
「次のゼミに時に、持ってきてくれればいい」
 無表情かつ、台本を読んでいるように抑揚のない詠子の声である。
「わかったよ。それじゃあね、須野原さん」
「………」
 吉川は、“用事がある”という詠子の言葉を額面どおりに受け取って、弁当箱を受け取るなり、そのまま教室を出て行った。
「……バカ」
 もちろん、用事があるというのは“嘘”である。
 今日は一緒になれないという状況を知って、吉川がどういう反応を見せてくれるか、詠子は試したかったのだ。回りくどく面倒くさい行動だと周囲は言うであろうが、恋する気持ちが暴走して脇道に逸れて、そうなってしまった乙女の姿に、若者特有の“気の病”を見てもらいたいところだ。


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