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濃霧の向こう側に手を伸ばして
【大人 恋愛小説】

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 昼間のうちに、近所の大型スーパーに食料品の買い出しがてら、彼女の部屋着を調達しに行った。ワンピースと下着はそれぞれ三着持って来ているが、部屋着はないというからだ。さすがに俺の服は大き過ぎるから、スーパーの安物でも良いから女物の部屋着を買えと言って買わせた。金は彼女から渡された中から使った。
 赤と白のドット柄のパジャマは、安物だけど彼女にとても似合っていた。赤が似合うのは、思っている以上に彼女の顔の作りがしっかりしていて、色に負けていないからだという事に気付く。肌の白さもあるだろう。初めて見たときは捨て猫のようなイメージを抱いたが、今はそれがない。
「シャワーで悪いな。バストイレ同室だと湯船はる気になんねぇから」
 彼女は濡れた髪をタオルでゴシゴシと乱暴にこすりながら「いいよ」と言う。俺がドライヤーを持って目の前に差し出すと、びっくりしたようにそれを見て、「ありがとう」と微笑んだ。
「風邪ひかれたら困るし。じゃ、俺シャワー浴びてくるから」
 そう言って俺は着替えを一式持って風呂場に入った。
 不思議な女だ。昨日と今日では別人のようだ。昨日は感情を殆ど表に出さないように、ずっと口元だけに笑みを貼付けたままで俺に接していたのに、今日、ここにいてもいいと許してからは、人が変わったかのようにケタケタ笑い、表情を変え、まるで今までこの部屋に住んでいたかのようにリラックスしている。
 会った事があるのか? 自分で気がついていないだけで、キリは気付いているとか?
 思い当たるフシはないのだが、彼女のリラックスした顔を見ていると、昨日や今日知り合った仲のようには思えないのだ。ここに住んでいる俺よりも、彼女のほうがずっとリラックスしている。
 そんな事を考えながらシャワーを浴び終え、トイレのフタの上に置いた部屋着に着替える。風呂場の折りたたみ戸をガシャリと開けると、俺は一瞬息を止めてしまった。
 ドアのすぐそこに、キリが座っていた。
「何、してんだよこんなとこで」
「人の雰囲気がないと寂しくって、シャワーの音聞いてた」
 少し困ったような顔で笑ったキリは「あはは」とこめかみを掻いている。
「うさぎかよ。俺明日仕事なんだからな。家に誰もいなくなるぞ。キリはどっか行くの?」
「行かないよ。武人が帰ってくるの待ってる」
 その場に片手をついて立ち上がり、俺を見上げる。
「あっそ。鍵かけないで勝手に出掛けられても困るから、出掛ける日は出掛けるって言えよ」
 うん、と呟きながら俺の後ろをついてくる。本当にウサギかなにか、小動物のように思えてくる。
 俺はちゃぶ台の前に腰掛けて、ドライヤーのスイッチを入れた。温風に当たる部分の髪を、手櫛でといていく。ドライヤーの向こうで、キリが何か言っているのが口の動きで分かったので、俺はドライヤーを止め「何?」と訊き返す。
「弾き語りはいつ行ってるの?」
「仕事が休みの前日の夜」
 それだけ言って、またドライヤーをかけ始めた。俺が弾き語りに行く時、彼女はついてくるのだろうか。昨日の雰囲気を見ている限りでは、俺の歌に興味があるようには見えなかった。だったら何に興味があったんだ?


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