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『秘館物語』
【SM 官能小説】

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『秘館物語』第2話「訪問者」-10


「へ……」
 嬉しさに突き上げられて、浩志は窓を開けてその名を呼ぼうとした。
「んぅ……」
 しかし、碧の発した色のある吐息と、車内に漂う甘い匂いに気が付いた。気をやったままのあられもない姿でいる彼女が、ここにいるのである。
「み、碧さん……」
 声をかけても、正気に戻る様子がない。ほとんど、失神しているのと変わらない状態である。だらしなく口を半開きにして、その端から銀糸が胸元まで筋を引かせている。
(やりすぎた、よな……。やっぱり……)
 やむをえず浩志は、駅前に出ていた兵太がこちらに気がつかないように頭を低くして、碧の意識が現に戻るその時まで、時間を作らなければならなかった。

 ちなみに、碧が正気になったのは、5分程後の事である。
『浩志さん、意地悪です…』
 いささか拗ねた表情をしていたのは、やむを得ない。
 しかし、車内で弄ばれたことに拗ねているのではなく、指の刺激だけで終わってしまったことが彼女には物足りなかったのだ。
 そういう意味では彼女も相当の好きものといえるだろう。
「兵太さん、こっちだよ!」
 ともかく、ようやくにして浩志は、駅前で手持ち無沙汰に時間を待っている様子の兵太に声をかけることが出来たのである。
「おぉ、坊ちゃんやないですか!」
 すぐに気づいたバンダナの男は、これ以上ないというぐらいに陽気な喜色を浮かべ、大仰に手を振って返してきた。
 隣に立っていた女性を促しながら、ボストンバッグを右肩に提げて、すぐに車の方へと近づいてくる。彼が、轟 兵太その人である。
「待ってたんだよ、兵太さん」
 浩志は車から降りた。顔の紅潮が治まっていない碧も、さりげなく襟元を整えなおし、浩志に倣う。
「迎えに来てくれはったんですか。おおきにですわ、坊ちゃん」
「兵太さんも、元気そうでなにより」
「はいな。ワイから元気とスケベ心を取ったら、なんも残りませんわ」
「ははは」
 久しぶりに、“兄”のように慕う兵太に逢えた事が、浩志はとにかく嬉しい。
 もっとも、失意の中にあった浩志を、あの館に連れて行ってくれたのはこの兵太であったわけであるから、“久しぶり”というにはあまり時間も空いていないのだが…。
(浩志さん、とても嬉しそう……)
 表情をあまり露骨に顔に出さない彼にしては珍しく、嬉々とした雰囲気が浮かんでいる。それを好もしく、碧は見つめていた。
「えっと……」
 やがて浩志は、兵太の傍でしおらしく構えている女性に視線が移った。
「はじめまして」
 浩志と視線が重なったことに気づいた彼女は、丁寧にお辞儀をする。白のワンピースが、これ以上ないほど似合う、清楚で慎ましやかな所作である。
「坊ちゃんは確か、初めてやね。彼女がワイのつれあいです」
「轟 双海(ふたみ)といいます」
 にこり、と笑みを見せる双海さん。“三度のメシよりエロが好き”という兵太の奥さんであることが、どうにも信じ難い気持ちにさせる清らかな笑顔であった。
「双海さん、お久しぶりです」
「こんにちは、碧さん。今日から、御世話になりますね」
「はい」
 碧と双海は、当然だがすでに知り合っている。話に聞けば、双海の方がわずかに年上ということらしいが、ずいぶんと気心の知れた雰囲気を二人の間には感じた。
「兵太さん、きれいな奥さんだね」
「ふっふっふ。あかんで、坊ちゃん。双海は、髪の先から爪の先まで、ぜーんぶワイのもんや」
「はは……」
 清涼で、慎みを感じさせる双海が、兵太にどのようにして“悦ばされて”いるのか、とてつもなく気になってしまう浩志であった。


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