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夕焼けの窓辺
【その他 官能小説】

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第5話-10

―――涙が枯れつくすかと思うぐらい泣き明かした、その翌日。
目蓋の裏がズキズキと痛むのを堪えながら、英里は授業を受けていた。
「水越さん」
講義が終わった後、昨日の修羅場に居合わせた彼が、控えめに声を掛ける。
「あ…」
英里は、少し表情を曇らせる。今はまだ、作り笑顔を見せる余裕もなかった。
あんなに格好悪いところを見られてしまって、昨日の今日で顔を合わせるのはやはり体裁が悪い。
構内のカフェテリアに場所を移し、英里の対面に彼が無言で座る。
そのまましばらくどちらも言葉を発さなかったが、ようやく彼の方から話を切り出した。
「昨日さ、あれから大丈夫だった?」
「うん、別に何もないよ」
英里は、ようやく僅かに微笑んでみせた。
聞きづらそうに問うて来る辺り、彼は彼なりに気遣ってくれているのだろう。
昨夜はあれだけ大荒れに荒れていて、何もなかったなどというのは大嘘だが、あんな醜態を見せた上、これ以上余計な心配を掛けるのも申し訳ない。
勿論、彼は英里の泣き腫らした後だろうと思われる、若干腫れぼったい目蓋に気付いていたが、敢えて追及するような真似はしない。
「あの人、水越さんと…」
「付き合ってる…一応」
「一応?」
「私なんかと全然釣り合わない位、素敵な人。だから、恥ずかしくてつい咄嗟に友達だなんて言っちゃった」
彼を怒らせてしまったきっかけの台詞。
何故あんなにも彼の機嫌を損ねてしまったのかわからない。
(…そう、一応。付き合ってる“つもり”だった)
彼には、無理して付き合っているだなんて思われていた程の不健全な関係なのだ。
苦笑を浮かべながら、英里は注文したアイスコーヒーのストローをくるくると回す。
「そっかー…残念」
「え?何が?」
英里は顔を上げて、グラスから彼の顔へと視線を移す。
「…俺、水越さんの事好きだったんだけど、諦めるしかないなって」
気持ちを伝える瞬間、真摯な瞳で見つめられて、英里も思わず緊張してしまった。
だが、またすぐいつもの彼の人懐こい瞳に戻る。
「どうして…?」
彼は心の奥底に秘めていた気持ちをぶつけてきたというのに、英里は冷静にそう答えていた。
「入学式の後の、学部の説明会で見掛けてから一目惚れだったんだ。初めて図書館で声掛けた時も、実は笑えるくらい心臓ばっくばくで」
耳を赤くして、はにかみながら彼はそう言う。
初々しいその反応が伝播したのか、遅れて英里も告白された事実を認識して頬が朱に染まる。
「でも、すーっぱり諦めなきゃな。ま、これからも友達としてよろしく」
そう言いながら、彼はトレーを持ち上げて、席から立とうとする。
「…もう行くの?」
「ごめん、これからバイトであんま時間ないんだ」
「そうなんだ…」
人から告白なんてされたのは初めての経験で、英里はどう対処すれば良いのかわからず、戸惑いの表情を浮かべる。
そんな英里の煩悶を感じ取ったのか、去り際に彼は、
「あのさ、さっき釣り合ってないって言ってたけど、俺は水越さんが引け目感じる事全然ないと思うよ?」
元々、恬淡な性質なのか、特に気にしたような様子もなく、人の良さそうな笑顔を見せて彼はその場を立ち去った。
「あ…」
ありがとう、と言い掛けた時には既に彼はだいぶ遠ざかっており、仕方なく英里は口を噤む。
敢えて何も聞かなかったのは、彼なりの優しさなのだろう。
最後の最後まで気遣わせてしまった。
1人残された英里は、ストローに口を付けた。
氷が溶けてしまって少し薄めのアイスコーヒーが、優しく喉を潤す。
どうして、あの人は私なんかを好きになってくれたんだろう。
突然の告白に舞い上がるわけでもなく、英里はそう感じていた。
さっきだって、彼に気の利いた言葉1つすらも掛けられなかった不甲斐無い自分なのに。
それに、彼が去った直後で、もう違う男性の事を考えてしまうような酷いやつなのに。
彼女にしては珍しく、思いっきり感情を爆発させたせいか、一晩も経つと昨夜の激情も少々収まってきた。
だが、まだ自分から謝ろうという気持ちにまでは至らない。
そもそも、そっちだって仕事ばかりなのに、ちょっと友達と映画に行った位であんなに怒るなんて、横暴だ。
英里は、静かに溜息を吐いた。
溜息を吐く度に幸せが逃げる、なんて言うが、もうここ数日で何度溜息を吐いた事だろう。


「解を求めるには、この公式を当て嵌めて…」
「…先生、そこ宿題の範囲じゃないです」
「え?あ、そうだった。すみません…」
生徒の1人に間違いを指摘され、振り返った圭輔は、表面上は穏やかだが、内心己の不甲斐無さに舌打ちをした。
「…じゃあ、今日の授業はここまでで。三者面談の希望日程を出してない人は早く提出するようにして下さい」
ドアを開けて教室を出ると、張り詰めていた緊張が解けて、一瞬両肩に疲労が圧し掛かる。
それを何とか堪えて、圭輔は職員室へ戻る。
廊下を歩いていると、眩い日差しが窓から差し込み、その光に眩暈を感じた。
(少し、疲れてるのかもな…)
それを認めてしまうと本当に潰れそうになる。
自分を奮い立たせて、圭輔は職員室に戻った。
それにしても、授業中にうわのそらになってしまうとは、教師失格だ。
昨日は、一時の感情に流されて、英里をひどく傷付けてしまった。
目を閉じても、目蓋の裏にその哀しげ顔が映り、否応なしに彼を苛む。
まだまだ残っている仕事は山積みで、やらなければならない事はたくさんある。
躓いている場合ではないのに、英里の泣き顔が、目に焼きついて離れないのだった。


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