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夕焼けの窓辺
【その他 官能小説】

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第1話-7

ぽつりと、激しい雨音に掻き消されそうな程の小さな声で、英里は圭輔を呼ぶ。
「ん、何だ?」
運転中で、圭輔は正面を見つめたまま何気なく返事をすると、
「このまま、私の事ホントに攫って下さい」
その後に続いた予想の斜め上を軽く飛び越えた彼女の言葉に、一瞬彼の思考が止まる。
ちょうど横断歩道の手前で赤信号になり、少し急停止気味になってしまった。
「な、ななな何を…ッ!?」
「…冗談です。慌てすぎですよ」
白けた瞳で射抜かれる。突き刺さるような彼女の視線が痛い。
「だ、だよな…」
信号はすぐに青に変わり、アクセルを踏もうとすると、
「先生は、好きな相手としか関係を持たない主義ですか?」
またしても彼女の突拍子のない発言が容赦なく彼に降りかかり、吹き出しそうになるのを堪える。
当惑しながらも、圭輔は律儀に問い掛けに答えた。
「当たり前だろ、普通…」
「当たり前…?でも、世の中には不倫や援交に風俗とか、性が氾濫してるじゃないですか。…そこの通り右でお願いします」
英里は正面を向いたまま、質問を投げ掛けてくる。
彼女は、何故こんな問いをしてくるんだろうか。
そもそも、何故自分はたった2週間だけ受け持つクラスの生徒と、こんな生々しい会話を交わしているのか。今日の英里は普段の、ほんの短い間だが、彼が知っている彼女ではなく、次の行動が読めない。
「それは否定できないけど…俺自身としては、本当に好きな人としかしたいと思わない」
それに対しての英里の返答はなく、少しの間車内は静寂に包まれた。
(何をこんなくそ真面目に答えてんだよ、俺は……)
無反応な彼女に対して、圭輔が少し羞恥を感じ始めた時、
「…あ、そこのマンションです」
彼女の家は、25階建ての高層マンションだった。
「送っていただいてありがとうございます。じゃあ、また明日…」
妙に清々しい微笑を浮かべて、英里はマンションのエントランスゲートをくぐっていく。
ますます、掴みどころのない少女だ。
遠ざかって行く彼女の後姿を、圭輔は不思議な気分で見つめていた。



ある日の図書委員会の帰り、英里は圭輔と一緒に学校を出た。
「もうすぐ教育実習も終わりですね」
英里がどことなく寂しげな声で話を切り出す。彼の教育実習期間は来週の火曜日までで、それで2人の奇妙な関係も終わる。
「あぁ。いい勉強になったよ。変な生徒への耐性もできて」
「…それって誰の事ですか?」
おちゃらけた圭輔の返答に、英里の声のトーンが格段に低くなる。
それと同時に、彼は淋しくも何とも思っていないんだという事を知り、彼女の胸の奥は、何故か鈍く痛んだ。
今まで一度も経験のない感覚に戸惑い、英里はそれに必死に気付かないようにした。
「さ〜て、誰でしょうねぇ」
彼女の反応を見て、圭輔は忍び笑いを禁じ得なかった。あの雨の日を境に、英里は圭輔に徐々に心を開き始め、初めの頃の挑発的な態度ではなく、今となっては限りなく素に近い自分で彼と接するようになっていた。あと数日の付き合いとはいえ、圭輔はそんな英里を好ましく感じていた。
打ち解けたところで、圭輔には彼女にどうしても尋ねたい事が1つあった。
今、思い切ってそれを尋ねてみる。
「あの、さ…聞きたい事あるんだけど」
「何ですか?」
助手席に座った英里が、毛先を触りながら答える。
「初めて水越さんと話した日…」
そう、あの突然のキス。その事は圭輔の胸に引っ掛かり続けていた。
「あ」
英里も思い出したようだ。一瞬で、気まずい雰囲気が二人を包んだ。
「あの時はまだ先生の事が嫌いで困らせてやろうかと…その…ごめんなさい…」
苦々しい顔で、英里はようやくそう言った。
「…軽く傷付いたぞ、そのセリフ」
身も蓋もない彼女の言葉に、圭輔も苦笑いを浮かべる。
「だからごめんなさいって………でも、相手が先生じゃなかったらたぶんそんなことしなかった…」
意識的に気に掛けないようにするというのは、結局、気にしているのと同じだ。
自分は他の生徒と違う、この人に興味なんてない、そう思っているつもりで、本当は自分も同じで、彼の事が気になっていたのかもしれない。
そんな事を考え出すと、また、先程突然感じた胸の痛みが甦る。
「え?何?よく聞こえなかった」
しかし、ちょうど後の発言の時、側を高速で走り去った大型車の音で彼女の声は掻き消された。
「いえっ、何でもないんです!あの、お願いが…」
「な、何だよ?」
さっきのような発言でも衝撃を受けないように、彼は思わず身構える。
「…圭輔先生って呼んでもいいですか…?」
「何だ、そんな事。好きに呼んだらいいよ」
…情けない事に、彼は、一部の女生徒から既に“圭ちゃん”やら“圭輔”とか呼ばれていたりする。
頬を赤らめてそう言う英里が、年相応でとても愛らしかった。
でも、そう呼ばれるのもあと残り僅かの期間だ。もうすぐ、自分の教育実習期間が終わる。
(この前は冗談で攫ってとか言えるくせに、名前で呼ぶ方が恥ずかしいのか…)
やはり彼女は未知数だと圭輔は密かに思った。
そして、そんな彼女の事をもっと知りたいと思っている自分自身がいる事に気付き始めていた。
お互い、自身の裡に生じた感情に気付かないように押し込めたまま、他愛のない会話を交わしているうちに、英里のマンションの前に到着した。何だかいつも以上に、時間が早く過ぎたような気がした。
「ありがとうございました」
英里は車から降りると、礼儀正しくお辞儀をする。
「あぁ、じゃあまた学校で」
だが、車を降りた後も、英里はなかなかそこから離れようとしなかった。
同じく圭輔も、英里の瞳を見つめたまま、なかなか離れようとしない。
そのまま、しばらく無言で向き合った。
英里と圭輔は互いの瞳の中に映る自分の姿を見つめながら、別れるのが日に日に名残惜しくなっていく自分自身に戸惑いを感じていた。


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