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数ミリでも近くに
【大人 恋愛小説】

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企み-1

「健ちゃん何だって?」
「もう一眠りするんだって」
 今日は休日で、実験の中日に当たる健人は大学に行く必要がなく、自室のベッドで横になっていた。
 研究の事を考えながら、階下の女性二人の会話に耳を傾けていた。

「健ちゃんと晴人って種違いの兄弟にしては顔がすんごい似てるけど、中身が全然違うんだねー」
 葉子は部屋着のままでソファに寝転がり、テーブルにおいてあったお煎餅を一口齧ると、スミカはクスクス笑った。
「双子だって中身まで全く同じじゃないんだから、当然でしょう」
「そっか。晴人がスーツ着たあの姿は結構ショッキングだったな。健ちゃんが二人いるみたいで」
 スミカは細くて白い脚を組み替えた。スミカはいつだって、身綺麗にしている。
「晴人の部屋って、葉子の部屋みたいに楽器が置いてあったり、ポスターが貼ってあったりするのかなぁ」
 ルームシェアを円滑にするために、個人の部屋はプライベート空間とし、許可なく中に入る事は禁止になっている。
 そのため葉子は健人の部屋の中はドアからしか見た事が無い。引っ越してきたばかりの晴人の部屋は勿論、見た事が無い。
「どんなんだろうね」
 葉子はソファから身を起こし、スミカに視線を遣った。
「葉子の部屋からだったらベランダ越しに見えるんじゃない?」
「でも、何か覗き見みたいで悪いよ」
 スミカはとんでもないとでも言わんばかりにソファにどっさり身を預けて言った。
「外から見るだけでしょー。それに本人も留守だし、覗いちゃいなよ」
「そう?じゃ、ちょっと見てくる」
 小走りに自室へと向かう葉子の背中を見つめるスミカの瞳に、冷たいものが宿っていた事に、葉子は気づくはずも無かった。

「ちょっとだけ見えたけど、私の部屋にあるのと同じポスターが貼ってあったよー」
「シドなんとか?」
「シドヴィシャスね」
 カーテンの隙間から見えたのは、シドヴィシャスのポスターと、写真立てだった。
「何の写真が分からないけどね。彼女だったりして」
 全ての会話を、二階にいる健人は聞いていた。
 ベランダから覗き見る事をスミカがけしかけた事も、全て聞いていた。音楽もかけずベッドに横になっていた健人には、全て筒抜けだった。
 さて、スミカは何を企んでいるのやら。健人はうすら寒い思いがした。


「あ、おはよ。健ちゃんと晴人は?」
 完全に寝坊をして朝食を独りで食べていた葉子の元に、部屋からスミカが降りて来た。
「おはよ。健人は部屋にいるみたい。晴人は朝早くに出かけて行ったよ」
「ふーん、そっか」葉子はコーヒーを一口飲んだ。
「私も今日、武と会う約束してるから、お昼前に出かけるよ」
「えー、じゃぁ私と健ちゃんだけか、居残りは」
 葉子は昼食の事を考えていた。スミカがいないとなると、自分で昼食を作るか、健人とジャンケンをして何かを買ってくるか――。
「お昼、家政婦さん呼ぼうか?」
「あぁ、いいよいいよ。健ちゃんと何とかするから」
 丁度良いタイミングで健人の部屋のドアが開き、彼が降りて来た。
「おう、健ちゃん、お昼どうする?スミカいないんだって」
 健人はもしゃもしゃに寝癖がついた黒髪を手櫛で梳きながら考えている。
「うーん、葉子が弁当でいいなら、俺が買いに行くけど?」
 葉子は、そのもしゃもしゃの寝癖を双眸で凝視した。
「よし、じゃぁ一緒に買いに行こう」
「あぁ」と気のない返事をし、ソファにドサっと座った。
「スミカ、ちょっと実験の事で訊きたい事があるんだけど――」
 何なに、とスミカは少し嬉しそうにソファの対面に座り、健人の研究にアドバイスをしていた。
 葉子はそれを聞くともなしに聞きながら、ゆっくりゆっくり朝ご飯を食べた。


 スミカは部屋で出かける支度をしていた。彼氏である武と一泊旅行にいくらしい。
「健ちゃーん、お弁当買い行こうぜー」
 一階から大きな声で葉子が叫ぶと、ややあって健人が帽子を被って降りて来た。
「あ、帽子だ」
「寝癖治らないから」
 葉子はクスっと笑って高い位置にある彼の頭をポンポンと叩いた。
 葉子には兄がいるが、離れて暮らしている。
 幼い頃は「妹か弟が欲しい」と親にせがみ続けていたので、健人と一つ屋根の下暮らすようになった今、実の弟の様に健人が可愛くて仕方がない。
「健ちゃんは何弁当にする?」
 葉子は斜め上にある彼の顔を覗き込むように見る。
 さっと頬が赤らむのを悟られない様に、健人は被った帽子を少し深くする。
「焼肉弁当、この前食ったら美味しかったんだよなー」
「焼肉弁当かぁ、食べた事無いや。美味しくなかったら健ちゃんのおごりな」
 彼の腕をポンと叩くと、健人は黒縁メガネの向こうで「はいはい」と苦笑した。
 彼女の何気ないボディタッチの度に、健人は心を揺さぶられる。

 白いビニール袋にお弁当を二つ入れ、健人がそれを提げた。バードハウスに向けて丘をの登る。
「上り坂はさぁ、後ろを向いて歩くと疲れない、とか言うよね」
 そう言って葉子は健人の正面を向いて後ろ歩きを始めた。
「葉子、転ぶよ」
 だいじょぶだいじょぶ、と言った傍から、段差に踵を取られ、尻餅をついた。
「やっちまった」
 体勢を立て直そうとする葉子に、健人の大きな手が差し伸べられた。
「ありがと、健ちゃん」
 その大きな手に掴まり、葉子は立ち上がった。デニムのお尻に少し、細かい石がついたので、手で払う。
 健人は、葉子の少し少年ぽいところや、危なっかしさ、裏腹に時々見せる女らしさ、全てに惚れている。
 勿論、本人に思いを伝えようとは思っていないが、「これまで一度も男と付き合った事が無い」という葉子の初めての人間が自分だったらいいのに、と思う事があるのは事実だ。




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